探梅の一枝指に添はせては
バス乗るやはや探梅の目になりて
ちらほら梅便りが届き始めている。
有名な梅どころならば開花情報を確かめて現地に行けば梅が楽しめるわけだけれど、「探梅」なる言葉を珍重する俳人というのは面白い人種で、開花している保証はなくても時節がくればとにかく吟行先へ行って開花しているのを見つけては喜ぶのである。梅の開花を発見するための苦労や、あるいは発見してはその苦労を句に詠むわけである。
だから、別に開花してなくたって一向にかまわない。咲いてそうな場所や雰囲気さえあれば、それを探梅と称して楽しむのであるから、一般の人にはなかなか理解されない行動であろう。
ある意味、俳句は季節をすこし先取りして詠む傾向にある。寒さの極にある今だからこそ春を待ちわびる心がいっそう募ってきているということだろう。
春を待ち詫びる、梅の力を感じます。
桜も春には違いないけどやはり春の一番の花と言えば梅ですものね。
今夜のプレバトの兼題は梅と飛行機でしたね。
蝋梅は年末から咲いてる始末で珍重味はうすれ、この時期といえば梅、水仙が東西横綱でしょうか。
プレバトも相変わらず下手が多くて、人の無様を嗤う番組ですね。ただ、そのまんまは現代俳句としてはいいセンスしてると思います。現代俳句派にはぐうの音も上げさせない句を目指しているのですが。