俗信

一笑にふして治聾酒ほしにけり
治聾酒に意気軒昂の耳順かな
まね事と下戸に治聾酒注ぎにけり
治聾酒のすすめやうなく母の下戸

「治聾酒」。春の社日に飲むと聾が治るといわれる。

「社日」とは産土神を祀る日のことで、春と秋の二回ある。春のものを「春社(はるしゃ)」、秋を「秋社」と言う。
中国から伝わった風習が、古くからの土地の神、山の神、田の神と深く結びついたものとされ、春には五穀豊穣を祈り、秋には収穫を感謝を表していた。
春分の日、秋分の日にもっとも近い「戊(つちのえ)」が、それぞれ春社、秋社の日となる。今年は3月22日、9月18日に当たる。
昨今では、彼岸のほうが注目されてしまい、社日の行事を大切に守り継がれているところも少なくなったようだが、祈りや感謝は御田植祭や秋祭りなど、形を変えて地域地域でさまざまな行事に引き継がれていると考えてもいいだろう。

さて、治聾酒だがそのいわれは定かではない。医学、医術の及ばない病気や体の衰えからくる様々な疾患から逃れる術もなく、ひたすら神や仏におすがりする以外なかった時代、産土の神に捧げた酒をいただくことで少しでも和らぐことができるならという、素朴でささやかな願いがこうした形で生き続けてきたのだろう。
目にいい水とか、患部に当たる部分を撫でたら治るとか、俗信として分かっていながら、現地に立てばそういうものは我々は何の疑いもなく受け入れてしまう民族である。そのうちの一つが歳時記に残っているのだと思えばいいだけである。
難聴がすすんで、しまいには全く聞こえなくなったしまった母を思い出す。

“俗信” への2件の返信

  1. 珍しい季語ですね。
    治聾酒なるものがあるのなら下戸の私でさえ欲しいものです。
    晩年老人性難聴に苦労した母、そして突発性難聴で不自由な私。
    その上連れ合いも最近聞こえが悪くなりお互いにちぐはぐな会話を交わしています。
    全く両親と同じ道を辿っている始末です。

    その連れ合いの母校、21世紀枠で甲子園に出場できたもののボロ負け、トホホ。
    でも甲子園に行けただけでも幸せ。
    栄光をつかむのはどこかな?

    1. 会話にそういうときが増えてきました。全く聞こえてないと文句言えば、全く聞いてないと返される始末。
      いやなことは聞こえないからいいと母が言ってたことを思い出します。認知症を患ってからは、ますますその傾向が強くなりました。

      相手が強すぎましたね。夏はそのお返しに甲子園に帰ってくればいいと思います。

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