しのぶよすが

黴日記めくりて遺品整理かな
恵贈の主は鬼籍に黴の書架
作り置くカレー三日目黴兆し
二児巣立ち育児辞典の黴埃
黴の香と受動紫煙のなひまぜに
黴レンズかざし胞子の万華鏡
職退いて革という革みな黴に
アマゾンで買うた珍本黴臭き

昔の日記や手帳、手紙の類いは実家に置いたままだった。

懐かしいものもなかにはあるのだが、あえて残すことなくすべて始末して灰にしてもらった。
僕の持ち物も僕にとっては宝物だが、死ねば、遺族にはただのがらくたにすぎなくきっと処分されてしまうに違いない。
たとえば、せめてお気に入りの自句くらい冊子にまとめておけば、それを開いて僕の内面の一部でも知ってくれることがあるだろうか。
最近、もっと自分をさらした句を詠むべきではないだろうかと思うときがある。

“しのぶよすが” への2件の返信

  1. 日記、写真、手紙、書籍等々本人にとっては想い出深いものではあるが残された家族にとってどれほどの価値があるのか・・・

    何を残し何を始末するのかの判断に迷う。
    そろそろ思い切りが必要な段階に入っていることは確かである。

    hodaka さんにとってはこのブログそのものを小冊子で残されることが一つの形見になるのではないでしょうか。

    私にとっては何だろう?
    何の痕跡も残さないことも一つの選択肢に思える近頃である。

    1. 読むだけで膨大な時間を要するブログは保存にはいいかもしれませんが、写真がデジタルデータとして残されているのと同じで、記憶にとどめるにはやはり印刷物という形式が必要だと思います。
      限られたひとにだけ読んでもらえばいいので自費出版するほどのものでもなく、「小冊子」程度でいいかなあと思っています。
      それもかなわないなら何も残さないこともいいかもしれませんね。

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