筆談

耳遠き人に構はず蝉時雨

雨が止むと今度はまるで耳鳴りのような蝉時雨に包まれた。

一斉に鳴くので、場所もどこかと分からぬほど全身を包むようにシーンという響きだけが伝わってくる。
余命幾ばくもない母を病院より退院させ最期を看取ろうと決めたのは4年前、ちょうどこの時期だった。
歳をとってから耳がだんだんと遠くなり、ついに筆談以外に話をする手段がなくなったのだが、この煩いほどの蝉時雨も本人にはまったく気づかなかったはずだ。

蝉時雨の時期になるたび、あの短かった看取りの日々を思い出す。

“筆談” への4件の返信

  1. お母様もお耳が不自由でしたか。
    聞こえないつらさは本人しかわかりません。

    我が両親も晩年耳が遠くなり会話には不自由しました。
    いろんな方法を試みたりしましたが結局は耳元で大声で話すしかなかったです。
    一方私たち夫婦も他人ごとではなくなりつつあるのです。
    少し離れて会話しているとお互いとんでもない聞き間違いがあり大笑いします。
    段々親に似てきたね~なんて・・・こうやって老いていくのかしら?
    何だか淋しいですね。
    平均寿命が男女ともに80歳を超えた今まだまだ先はあると思えるのにいろんな機能は衰える。

    特に私は6年前に突発性難聴を患って片耳の聴力を失っているので声の方向を聞きとるのに苦労します。

    今夜は何だか寂しい話題になってしまいました。
    蝉しぐれに亡きお母さまを偲び懐かしむ。
    蝉しぐれも切なく聞こえますよね。

    1. たしかに、夫婦とも聞き違えることが多くなったようです。あるいは、雑音があるときは声に気がつかないとか。
      年齢とともに、煩わしい話が耳に届かなくなるのだといいほうに解釈しています。

      男の平均寿命も80歳超え!アンビリバボーの時代ですね。平均は平均。明日は知れませんので、淡々といくだけです。

  2. 耳遠き人に構はず蝉時雨

    これは面白い、好い句ですねぇ。

    でも、思わず笑えばいいのか、逆に、しんみりすればいいのか
    迷うところ。 耳が遠くなり、目がぼけて見えるのも、それは
    それで 年輪が成せる自然現象。
    いわば、長年の勲章みたいなもの、恐縮する必要は
    ありません。
    と言いながらも、耳が遠くなると、どなるように話すように
    なる人を見ると やはり 嫌だなぁ と 思ってしまいます。
    そんな時は、この句を思い出し、蝉の心境に
    なればいいのですね。 

    1. お暑うございます。
      歳とともに目も耳も入力情報が減るというのは理に適っているのかも。衰えた心身では多くの情報が処理できませんしね。
      食べる量が細ってくるのも、必要以上に食べないようにとの自然の摂理みたいなものでしょう。
      歳とればつきあい範囲も狭くなるし、その分迷惑をかける人も限られます。自然体でいきましょうや。

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