全勝

内線に受くる辞令の冷やかに
内線で決まる人生身に入みて

秋独特の季語に「身に入む」、「冷ややか」がある。

それぞれ、通期の日本語としても存在すると思われるが、俳句では秋のものとなっている。
これは「秋のあわれ」といつの間にか結びついたものと考えられるが、平安時代の歌には盛んに「身に入む」が秋と結びつけて詠まれているところから来ているとされる。
いっぽうの「冷ややか」も冷たい視線を言うという意味では通年にあるが、元は秋になって皮膚感覚で「冷たく」思ったり感じたりすることで、初秋の「新涼」に始まり、「秋冷」、そして晩秋の「そぞろ寒」「やや寒」「肌寒」「朝寒」に連なる語である。

掲句は、サラリーマンがなかなか重い辞令を受け取ったときのものを、二つの視線で詠んだものだが、実際には遠く離れていない限り電話一本で辞令を伝えられるわけではないだろう。
ただ、電話で上司の部屋に呼び出されたときというのは心のさざめきもあって、告げられるまでは「どうか悪い内容ではありませんように」と祈りながら向かうのである。
何回か内線電話で「ちょっと来い」と呼ばれたことがあったが、我が戦績は四勝四敗くらいであったろうか。豪栄道のように全勝とはなかなかいかぬものである。

秋風のしみる辞令となりにけり

話変わって。
バリバリの中堅で頑張っているころ、突然労組幹部から電話で呼び出され、組合専従の打診があった。
当時、労使関係はそれまでの蜜月関係に微妙に揺らぎを生じており、難しい局面が予想されることもあってとてもその場で受諾することはできず一旦は保留したのであるが、実はすでに事前に会社側の了解をとっている事項であり実質的に拒否できない、拒否するなら退職を覚悟しなければならなかった。
以後六年間を想像だにしなかった分野で過ごすことになるのだが、これがいろんな意味で以後の人生に大きな影を投げかける結果を生むこととなった。なかんずく、三年間を上部団体に派遣され、組合の文化活動の拠点となる雑誌編集に携わったことで、文芸、芸術関係の一流の先生方の謦咳に触れることができ、たとえばものを書くことも苦ではなくなったのが、このブログにつながっている。

“全勝” への2件の返信

  1. 会社生活の中、そんなことがありましたか。
    転勤の悲喜交々、サラリーマン人生では避けて通れません。今ではもう「そんな昔もありました」ってな心境ですけどねぇ。

    1. 「手垢のついた言葉だ!」とは初めての原稿提出のとき落ちた雷です。組合の雑誌だから、ついつい「連帯」だの、「絆」だのと使ってしまいがちですが、「自分の目で見たことをそのまま書け」と叱られたわけです。もちろん全文書き直しです。
      以後はもう雷は落ちなかったのですが、詩人でもある編集長の新米編集者に対する愛のムチでもあったのでしょう。毎月12,000字の原稿を書くのには大変辛いものがありましたが、三年間で得たものの大きさを考えると、今では懐かしい、というより慈しみさえ感じる愛おしい思い出です。
      今も自分だけの言葉探しが続く毎日です。

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