あけましておめでとう

元日や朝に偽りあらざるを

元旦の「今年こそはXXXを」の意気込みもいつか褪せてしまうことが多いが、発心したときは本気なのだ。
今年は禁煙するぞ!

久しぶりに風もない初詣日和に誘われて橿原神宮にお詣りしてきました。
元日にお詣りするのは何年ぶりだろうか。

薬師三尊

松籟の頭上わたれる初薬師

今日は薬師三尊は当然として、正月15日までの間だけ公開される吉祥天女像、補修工事でしばらく全体が見えなくなる東塔を見るため西の京・薬師寺に行ってきた。
国宝だけで7点(実際はもっとあるかもしれないが)もあるというだけで感激するほど大好きなお寺だ。

2,3年ほど前に上野で公開された薬師三尊であるが、そのときは光背がなく美術品としての仏さまという側面が強かったが、やはりこれがないと仏さまとしては収まりが悪い。

河原

ダッシュの子励ます姉の初凧かな

凧一枚 上げる姉妹の シルヱット

娘たちが帰る今日、寒さが戻ってきました。

河原では幼い姉妹たちが凧揚げに興じています。
糸を持つ妹と凧を捧げ持つ姉。
おぼつかない足取りでダッシュする妹とアシストする姉。
その光景には微笑ましいものがありました。

本家龍田大社

風神の社静もる5日かな


きょうの散歩は三郷町龍田大社を組み入れる。

正月五日ともなると参拝するひとも少なく、冷たい空気がぴーんと張りつめている。
ここは崇神天皇が祀らせたという大層古い神社で、風神の神様が主神。大和盆地を風水害から守ろうとしたのだという。
当時は難波と大和を結ぶ国境にあったとされているが、土砂崩れなどで今の場所に移されている。

斑鳩には龍田神社があるが、これは山背以下太子遺族がことごとく自害したのを悼み、特別に斑鳩の地にいわば分社の形で移されたものといわれる。
したがって、紅葉伝説の竜田川は今の竜田川(実際は平群川)ではなく難波大和の国境付近を流れていたはずだという。
そういえば今の竜田公園や周辺のなだらかな地形も含めて紅葉が特段名所という風には見えないのも合点がゆく。

新薬師寺

神将のおはす本堂飾りかな


十二神将像で知られる新薬師寺へ。
本尊の薬師さまを加えるとそれだけで国宝13体。豪勢なことである。


干支の守護神前で。

門前には十市皇女を祀った比賣神社と歌碑があった。

河の上の ゆつ岩むらに草むさず 常にもがもな 常をとめにて・・・・・十市皇女(万葉集1-22)


皇女は天武と額田王の娘。大友皇子に嫁いだわけだが、壬申の乱は婿と父との戦であった。

実は今日の目的は隣にある奈良市立写真美術館であった。
知人から、昵懇にしておられる仏像切り絵作家Nさんの個展があることを紹介されたからだ。
昨年秋に倒れ現在リハビリ中という、昨日届いた知人からのメールには大変驚いたが、パソコンに入力するだけで大変な労力を要するといいながら送ってくれたメールからは、電車に乗れるようになったらいつものように必ず奈良に行くとの強い意志をくみ取ることができた。
Nさんにそのことを伝えるために訪問したわけだが、作品をみて驚いた。とても十年前に始めたとは思えない緻密なワークなのである。グレーがないので黒地とそれを切り取ってできる白だけで表現する世界。とくに指の微妙な影と光が印象的だった。
下絵は描くものの、どこを削るかが悩ましいというお話しを伺ったときには、俳句とまったく同じ世界だと思った。
溢れる思いや言葉をいかに濯ぎ削ぎ落とすか。短詩系の醍醐味でもあるが、めったに味わえないものでもある。

松過ぎて

元日に来たためし無し彼奴の賀状

今日になって彼の年賀状が届いた。
旧住所からの転送だったのでいつもよりさらに遅い。新住所をメールで報せておいたはずだが、いかにも彼らしい。

奈良の父も

御歌会始めや東北魂鎮め

昨日震災10ヵ月目を迎えた今日は皇居で歌会始が開かれた。
入選歌には昨年の震災を詠み込んだものもあり、両陛下も被災地を慰問されたときの模様を揃って詠われたことが印象に残った。
奈良からの入選歌は被災地の息子を案じる歌であったという。

中日過ぎて

初場所や容易ならざる掲額かな

今場所から国技館の日本人優勝掲額が消えたという。

25場所も日本人力士の優勝がないなんて寂しすぎ。
今の星取状況では稀勢里にしか希望を託せないが、千秋楽まで希望をもたせて欲しいものだ。

黒豆

人の世は春の節目や巳年明く

一日中穏やかな元日だった。

2階の部屋から三輪山のあたりに上る初日の出に手を合わせる。誰も酒が飲めないので、淹れたてのコーヒーがお屠蘇代わり。去年採れた丹波黒豆が意外に柔らかくうまい。もう泥にまみえる必要もない歳になったが、やはり怠惰を戒めたい。

Uターンラッシュ

顔見せに来た子ら帰る二日かな

あっという間の正月休みが終わり娘夫婦が帰路についた。

かつて自分が帰省に往復した道を娘たちがたどっているのであるが、道路事情が改善されたとはいえUターンラッシュの渋滞は変わらないだろうから果たして何時にたどり着けるやら。
そんなことを気にかけながらの正月二日である。

帰省子に 土産もたせる 二日かな

妻が子供たちに用意した好物を持たせるのも恒例となった。

買い初め

福袋開けて一喜し一憂す

買い物は楽しいものである。

まして初売りとなれば、福袋もお神籤を引く感覚で楽しむことができる。
一袋1万円くらいまでなら罪がないレベルでいいのではないか。外れてもあきらめもつくというものだ。かくいう小生、例年かなりの格安という高額福袋を手に入れる準備をしていたのだが、今年は換算お得率35%という触れ込みなのでパスすることにした。50%以上なら食指が動いたんだけど。。。

代理戦争

まぐろ喰ふ民族の意地初の市

一匹1億5千万円超だと。

食文化本家の意地でずいぶん高値で競り落としたものだが、こんなことを毎年繰り返してどうなるのだ。
マスコミはネタを求めて面白おかしく報道するだろうが、竹島や尖閣諸島問題などでコケにされて鬱憤がたまった人にとっては溜飲がさがるだろうな。
最初は小さなことかもしれないが、積もってゆくと大きくなりかねない。ナショナリズムを刺激しなければいいのだがと懸念するのは杞憂だろうか。

背筋伸ばして

我が歩調出初のマーチに合せをり

今日は我が町の出初め式らしい。

いつものように大和川を歩いていると、対岸の運動公園から勇ましい君が代行進曲が聞こえてくる。出初め式のフィナーレを飾る消防団の行進と思われるが、リズムを合わせてみると意外に歩きやすくて自然に背筋も伸びるから不思議だ。マーチなんだから当然と言えば当然なんだけど。

正月の胃袋

茶粥には七草粥も勝てぬなり

今日は珍しく家人と連れだって散歩に出た。

正月のあいだ不足した青物を求めに途中スーパーに立ち寄ったのだが、七種粥パックを横目に少々疲れた胃のために今日の夕食は茶がゆと決まった。熊野育ちの両親に生まれた者は毎日茶粥でも飽きがこないのである。

生きとし生けるもの

百種のいのち輝け初御空

あけましておめでとうございます。

エコノミクス一辺倒では心豊かな人生が得られないことは、現代の、あるいは歴史の諸様相から証明されている。たとえカネがなくとも、将来に不安さえいだかなければ人は豊かになれるものなのに。いたずらに将来の不安要素ばかりを増やす今の仕組みというのは何なんだろうか。大衆よ、早く気づけ。自分たちの選良がなすことを監視せよ。

人の浅ましさ、醜さはなるべく見ないように距離をおいて,自分なりの豊かさを味わう年にしたいと念じております。

今年もどうぞよろしくお願いします。

正月の戯言

秒針の刻惜しむべし屠蘇の酔

南天さんから「好きなだけ人生」のコメントをいただきました。

全く同感です。この歳になると一番大切なものは「時間」です。
残された時間に何をやるか、やりきれるか。エンディングノートなど用意するつもりは毛頭ありませんが、自分なりに満足できることを求めて今年も彷徨うことになるようです。

朝護孫子寺にて

破魔弓を授ける巫女の紅潮し

信貴山にお詣りしてきた。

シンボルの張り子の虎の前は記念写真を撮る人たちで黒山のたかり。人の列にぞろぞろついていきながら、いくつもの塔頭や祠にお詣りしてようやく本堂に達することができる。その間の賽銭箱の数と言ったら。。。。
本堂の毘沙門天さんにお詣りし、無事に戒壇巡りもすませたら大和盆地の景色をしばらく楽しんで下山する。

神符の授与所はかしこにあるのだけど、開山堂のは巫女さんが日焼けしてしまうんではないかと心配するほど日にあたって紅潮していたのが印象的だった。

福笹を振っては僧侶のすぐ隠る

神仏なんでもありのお山なので、お賽銭をあげて立札に書いてあるとおりにご真言を唱えていると、お坊さんが陰から出てきては福笹を頭上に向けてかざし振ったと思うとまた隠れる。そんな繰り返しがあって、何とものどかというか、笑いが出てくるような可笑しい場面にも遭遇した。

吉凶占い

初詣おみくじ結ぶ背伸びかな
背伸びして結ぶお神籤初詣
枝といふ枝に御籤の初詣

僕はおみくじの類いは買わない主義である。

ただ、おみくじを引いては吉だ凶だとはしゃいでいる人たちを見るのは悪くない。誰もがおみくじの中身を真剣に信じている人などいないだろうし、一種の遊びだと思うからである。
また、いろいろなご縁を願って境内の枝などに結んだりしているのも、合格や良縁を願ったりなどする人たちの気持ちが滲み出ていかにも正月風景らしくていい。

朝護孫子寺本堂でお詣りを済ませた人々が境内の木におみくじを結んでいる。そのうち一人だけ、小柄な老女が一生懸命椿の枝に結ぼうとして背伸びしているのが目に付いた。老女が届く範囲の枝にはすでにおみくじがびっしり結ばれているからだ。

献燈

年男その名を刻み献燈す

どこの寺院、神社でも献燈の石柱が立ち並んでいる。

大抵が講の名であったり、個人や会社の名前だったりするが、なかには年男・年女だと刻んで献燈する人もいる。