盂蘭盆会

新盆の読経流るる公会堂

多くの命が失われた被災地で合同慰霊祭が営まれたニュースを見た。
なかには、経をよむ住職すら津波によって命をおとされた地域もあるという。
南無阿弥陀仏。

背びれか旗か

へんぽんと旗ひるがえる芭蕉かな

空かぎる 旗や立てたる 芭蕉かな

青々とした芭蕉の葉が風で揺らいでいた。
しなる茎から垂れる葉は魚の背びれのようでもあり、戦国武将の旗印、満艦の万国旗あるいは進水式の大漁旗が大空に揺らぐようにも見えた。
あらためて見ると芭蕉の葉というのは大きいものだ。

帰省の思い出から

曲がるたび車窓かすめて遠花火

今日は遠出をした。
帰宅があやうく午前様になりそうだったので全くの推敲不足だけど、と言い訳する(笑)
実は高速道路を走っている時ふいに10年以上も昔の記憶が蘇ったのである。
お盆の帰省Uターンでの道々のことであった。
東名高速浜松あたりだったろうか、最初はフロントガラスに小さく見えていた遠くの花火が、車窓の右や左に位置を変えながら見え隠れしていたのが見る間に近づいてきて、しまいにはウィンドウからはみ出すくらいまでの大きさになり、しかもド~ンという音さえ響いたのでひどく驚いたことがある。

旱天の慈雨

新涼や上掛け一枚重ねたり

昨晩は寝苦しさからようやく解放され久しぶりに気持ちよく寝られた。
昨日の大雨も旱天の慈雨というものだろう。
乾ききって熱気さえ帯びていた大地も今日は気持ちよさげである。
おかげで蚊の大襲来に悩まされていた庭や鉢の水やりからも昨日、今日と解放された。

主役交代

門灯を慕いし蝉や今朝落ちぬ

昨夜門灯に誘われて羽をばたばたさせていた蝉だろうか、今朝新聞を取りに出たところ門灯の下で一匹が腹を見せて転がっていた。
そういえば先週まであれほどうるさく鳴いていたセミ達の姿がめっきり減ったようだ。
昨夜虫の初音を聞いたが、秋冷の到来とともに庭の主役が交代したようだ。

颯爽としたプリンス

貴公子のごと背筋一本秋刀魚立つ

秋刀魚が新鮮かどうかは目の具合もそうだが、尻尾を持って立ててみると分かるという。
ピンと一本立ちするのが活きのいいやつ。
網にのせてもあの銀色の魚体がピンと一本に伸びているのはいかにも潔いし、何より塩をふって焼くだけという単純な料理が好ましい。
大根おろし、かぼすとの3点セットは視覚的にも嗅覚的にも秋の序幕に登場する颯爽としたプリンスだともいえるのではないか。
ちなみに、自分はまずはらわたから食うことにしている。

次のひと月へ

一句から数へひと月今日の処暑

ブログを立ち上げてから何とか一ヶ月がたった。
まったく句が浮かばない日もあるが、ただブログカレンダーに穴をあけてはいけないという思いだけで埋めた日も多い。
振り返っても恥ずかしいものがあるが、サイトトップのブログカレンダーはこれからも常に怖い存在だ。

秋の始まり

雨の間にかすけく虫の鳴くやらむ

間断なく降っていた雨がひとときおさまった。
すると、雨の音に代わって微かな虫の鳴く声が窓の下から聞こえてきた。

秋の花火か

女郎花

庭園のどん詰まりには女郎花

草苑の巡り回廊女郎花

いつもの市内薬師池公園へ。
奥にある万葉植物園に立ち寄ることが多い。
その名のとおり万葉集に詠まれた草花を中心に古来の植物が700種ほど植えられており、季節折々の草花のめぐりがよく分かるからだ。
8月下旬は花のいわゆる端境期で、唯一咲いていたのがこの花で順路の奥の方にあるのを見つけることができた。
すっと伸びた枝から小枝がいくつも分岐し、それぞれに小さな黄色の花のかたまりが泡のように咲く様子は、さかさまにした線香花火のようだ。

紫の紙風船

紫の風船割れて桔梗かな

桔梗は別名風船花と呼ばれる。
蕾が5枚の花弁を組み合わせたまるで紙風船のような形をしているからだ。
秋の七草のひとつだが、花期は梅雨時から咲くものがある。
現に我が家の桔梗は6月頃に開くので、今まで夏の季語とばかり思っていた。
万葉にある朝顔とは桔梗のことを指すらしい。

視界をすっきりと

老眼の進みしめがね秋暑かな

いつも安物のサングラスをかけてるものだから、娘が自転車用サングラスをプレゼントしてくれた。ところが、いざ検眼となって驚いた。
近眼の度合いがほとんど改善し、かわりに乱視が進んでるという。
近眼が改善しているというのは、日常ほとんどメガネをかけないで済んでるからなんとなく実感していたものの、それは実は加齢によるものだと聞いてちょっと複雑なものが。
今日、車専用となった感があるメガネのレンズの方も交換してもらうことにした。

台風接近

週末の行事中止や台風禍

自転車仲間と予定していた週末のサイクリングが中止になりそうだ。
距離はたいしたことないものの、アップダウンばかりのコースでどちらかといえばトレーニングの意味合いの方が強く、気合が必要なコースでもある。
いつかはチャレンジする必要があったので残念ではあるが、9月初めの暑さに不安もあったので内心は助かったとも思っている。
順延ならば次週の末になるので、その時はまた気合を入れなおさねばならない。

熊野の思い出

かなかなや夕暮れ早き杉林

両親は熊野の山奥の出身であった。
お盆の頃に帰ると、周囲を杉や檜の山に囲まれた里は夕暮れが早足でやってきて、蜩のかなかなという響きが妙に寂しかった。

賑やかな訪問客

法師蝉ジーと鳴いたら大団円

油蝉と入れ替わるようにツクツクボウシが鳴き始めた。
3センチ足らずの体なのに、あの大音声の源がどこにあるのか不思議でならないが、まるでルーチンのように一定時間鳴く。そのあとジーとなったら決まって終わりとなる。そしたら次の場所へさっさと移動するので、しつこく鳴きつずける油蝉たちよりはよほど作法を心得ているのかもしれない。

自然の約束事

違わずに二百十日の暦かな

処暑や二百十日、二百二十日は台風襲来の特異日だが、今年はまさに処暑といい、この二百十日といいお約束通りに台風がやってきた。しかも今年はやたらに足が遅いものだから蒸し暑さが続くのには閉口してしまう。
もしかして二百二十日にも同じような台風が来るのか知らん。

中上健次

氾濫の川や健次が鳳仙花

台風12号のニュースが続く。
紀伊半島一帯に降らせた雨によって各河川が氾濫する画像を見ていたら中上健次の小説「鳳仙花」を思い出した。
健次にしては珍しくある女(母がモデルといわれる)の生涯を淡々と綴った小説だが、古座川のほとりの鳳仙花が小説の終章を締めていた。今頃は豪雨と強風にか細い体を震わせているのかもしれない。

日本の伝統色

紫も古来に遠しふじばかま
色の名に恥じずあらましふじばかま

ようやく台風が遠のき今日は久しぶりの散歩日和。
仮住まいは古い住宅街の中にあるので、よそのお庭で秋の七草にでもめぐり合うことができるかと期待していたが案に反してまったくみつからない。
栽培品種の花はボックスに植えられたりして盛んに見られるのだが、やはり古来の地味な草花は敬遠されるのだろうか。
しかたなく急坂の向こう側にある駅前の花屋さんまで足を延ばして、ようやくフジバカマを見つけることができた。ただ、妙に赤っぽいので帰ってから図鑑で見ると、やはり栽培品種のようだった。
古来種のものは近年数を減らしているとのことだ。

今どきの田風景

今風ししおどし

空鉄砲今はなつかしししおどし

田が黄金色に染まる季節となった。
網をかけた田も多いが、昔の空鉄砲式のものが鳥たちに見透かされて効き目がなかったのかどうか、最近は電気仕掛けのやたら甲高い人工音の鳥除けを用いているところも見かけるようになった。
問題は、最初はうるさい鳥が鳴いているとばかり思っていたが、実は人工音で通るたびにだんだんと不快にさせる音なのだ。空鉄砲は間の抜けたような間隔でぽかーんと鳴るだけで、時間の流れにも余裕を感じさせたものだが、鳥の悲鳴のような声が絶え間なく流れる現代方式はただの近隣迷惑の雑音にすぎない。

あの熊野が

山育て里の暮らしに台風禍

一夜明けて、次々と惨状が映し出されるテレビ。
大津波の映像さながら地獄絵を見るようだ。
山間地で豊かとは決して言えないけど、父祖代々にわたって連綿と営まれてきた生活が一変する。
あの懐深い山々に囲まれた平穏な生活と美しい風景の復活を祈らずにいられない。

同窓会

久方にともがら集ふや今朝の涼

秋の夜は友との語らひにしかめやも

結局帰宅が午前様。
言い訳がましいが、シンデレラよろしく午前零時直前に電車からメール投稿したんだけどうまくいかなかった。
で一句ではなく二句で償いを。