角のない鹿

反芻は煎餅にあらむ杜の鹿

いろいろ雑事にかまけていたが、正倉院展も今日が最終日とあって連れ合いと外出した。
入場には15分ほど待たされたが思ったよりも混雑も少ない。
ただ、目玉となる聖武天皇の太刀には内部で交通整理が行われるほど盛況。
刀身はとても1200年以上も昔のものとは思えないほどの輝きに驚かされる。
同時開催されている「なら仏像博物館」にも立ち寄って、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての仏様たちも堪能した。
帰りは駅まで奈良公園をぶらぶら歩きしたが、図体の割に大きくて黒い眼の鹿たちがのんびりしていた。

花札

紅葉を傘と気取るやはぐれ鹿

花札そのものだと思った。
県内の紅葉名所はどこも見所だとテレビがいうので、まずは奈良公園から東大寺へ。
今年完成した東大寺ミュージアムでは不空羂索観音立像、日光・月光菩薩立像(いずれも国宝)にお目にかかることができた。
他に東大寺創建の頃の遺物の展示もあり、なかなかの見応えである。
おりよく南大門手前で鹿君が煎餅には目もくれずひたすら水を飲んでいるシャッターチャンスにも恵まれた。
雨天だけど気分は晴れであった。

金切り声

公園の鹿脅かして叱らるる

煎餅を売りつつ鹿の守りびと

奈良公園では毎年100頭を超える鹿が交通事故で命を落としている。

それでも総数が減らないのは関係者の努力に負うところが大きいわけだが、その一端を垣間見る思いをしたのを詠んでみたのが掲句だ。

正倉院展のある奈良博に向かって登大路を歩いていると、「追っかけたらあかん!」という金切り声がする。思わず振り返ると、一人の若者が逃げ回る鹿を追っている。鹿は一目散に道路を横切り公園に逃げ込んだわけだが、声の主は鹿煎餅を売るご婦人。鹿を脅かしたら当然のように鹿は逃げ、それが交通事故を呼ぶ。年間100頭というのは何故なんだろうと思っていたが、このような無知な人による行動が理由で命を落とす鹿がいるのだ。
若者はすごすごと隠れるようにその場を離れたが、誰でも分かりそうなマナーすら身につけてない人が多いのだと思うと暗然としてしまうのである。

共生関係

山ひとつ距て神鹿害獣に
駆除といふ法の名のもと鹿撃たる

つい最近も街なかに迷い込んだ鹿が「駆除」という名目のもと撃たれたというニュースがあった。最近は、熊、猪などが人家のまわりに出没しては哀れな末路をたどっている。
かつて長い間うまく間合いを図って共生関係を築いていたものが、ここにきてそのバランスが崩れてしまったようだ。原因はもちろん人間側にあるわけだが、このような話を聞くにつけ国の衰亡、包容力の衰えというものを思わざるを得なくなる。

水も滴る小牡鹿の

沼田場より参道闊歩の牡鹿かな

全身に泥をつけた牡鹿が観光客でごったがやす参道に出てきた。

南大門と大仏殿の中間に小川が流れていて、その橋の下にいい具合の沼田場があるのだ。
小川と入っても、ちょっとした渓のようになっていて水場もあるので、夏にはよく水浴びをしたり、涼をとったり、鹿にとっては格好の休み場のようだ。
その日通りかかったら威嚇するような声が聞こえたので、下をのぞくと今しも沼田場に近づこうとする牝鹿に歯を剥いている牡鹿がいる。彼は沼田場をから立ち上がると追いかけるようにして相手に向かって行き、そのまま参道に出てきた。
煎餅などやってきゃあきゃはしゃいでいる観光客もこれにはびっくり。
何しろ首から腹から尻まで泥が滴たるほどの濡れようだから、近づかれたら大変と凍り付くようにして遠巻きに見ている。

恒例の角切りの時期は終わったばかりで雄のシンボルこそないが、野性味をのぞかせるには十分なシーンであった。

奈良公園の一日

御物展巡り茶庭に秋惜む

正倉院展の最終日。

これ以上はない日和に恵まれて、国立博物館を出て、昨夜遷宮されたばかりの春日大社に詣でた。

飛火野に伏せる牡鹿の長鳴ける

奈良公園は鹿の恋の季節。執拗に雌を追いかけている雄もいれば、沼田場の泥でまだぬらぬら光ったままの状態でうろつく牡鹿もいる。堂々とした雄はほとんどが角が切り落とされて、男前が台無しだが、長く尾を引くように鳴く声は低音の魅力たっぷり。あれにはくらっとする牝鹿もいるだろう。

春日さんへの参道に並ぶすべての灯籠には奉祝の貼り紙がされ、新春日を祝う行事が目白押しだ。

新しき春日丹に降る秋日かな

秋ばかりの句を並べたが、今日は立冬。
天気が目まぐるしく秋冬を行き来しているが、しばらくはない交ぜての作句が続くと思われる。

勲章

ぬたうって客近づけぬ牡鹿かな

東大寺南門のすぐ前に鹿の沼田場がある。

気づく人は少ないと思うが、三笠山からの細流(吉城川)が門前数十メートルのところに流れており、小さな橋がかけられているのがそれだ。その下をのぞくと、とくに護岸もしてない岸に所謂沼田場がある。
見ていると、定員は一匹ほどで、立派な角を生やした牡鹿がごろんごろんと「沼田うち」をしているのが終わるのをじっと待っている別の牡鹿がいる。あきらかに序列がついているようで、若い者が近づこうものならたちまち追っ払われている。
こうして、全身にたっぷり泥をしたたらせた牡鹿が悠然と参道に上がってくると、煎餅を給餌したり、自撮りを楽しんでいた観光客がいっせいに引いて牡鹿の通り道ができる。
沼田場を独占してつけた泥は鹿にとっての勲章でもあるのだ。