尊き日

バレンタインの日シスターに告ぐ志望校

二女はカトリック系の女子校を選んだ。

進路を決定するに当たっては担任のシスターに大きな影響を受けたようで、いまでも人に関わる仕事を続けている。
卒業後も遠くに転任したシスターとは交流が続いているようである。
はたして、進路を決めたのはこの時期だったのかはさだかではないが、商業主義に毒されたこの日に気高さ、尊さを取り戻したいという気持ちから詠んでみた。

クロッカス黄

洎夫藍の黄のとびとびに土香る

クロッカスが顔を出してきた。

毎年同じところに黄色い花が吹き出すように咲く。
公園の管理人に聞けば、誰かが植えたかあるいはどこからか飛んできたのではないかとのことだったが、花泥棒ならぬお洒落ないたずらであろう。
かがみこんで花に近づくと、下草があちこち萌えてきて土の香りにも春の兆しが感じられる。
もう仲春にさしかかったとも言える。

星のストリーム

雫より島の生るごと下萌ゆる

公園の枯芝に点々と下草が広がってきた。

雫から島が生まれたという国生み伝説の地図のようにも見える。
その下草に混じってイヌフグリが点々と咲き出している。まるで、銀河のような大きな草の流れに灯る星のようだ。
あしもとには春がすでに來ているのだ。

福苗と福餅

人と牛と砂かけあうて春まつり
砂舞へば天も喜ぶ春まつり
春ごとの田人田牛は消防団
春ごとの松苗まきに歳忘れ

河合町を通りかかったら「広瀬大社砂かけ祭」の幟。

今日2月11日は恒例の奇祭・砂かけ祭の日だと思い出し、さっそく見学に向かった。
いわゆる御田植祭で、鋤や鍬で田起こしするステージから馬鍬で代掻きするステージへ、最後は早乙女に扮した巫女さんが松苗を早苗にみたてて田植えする行事なのだが、その代掻きまでの各ステージで田人や田牛が該当の所作の終わるごとに手にした鍬で足もとの砂をすくっては参加者にふりまくのである。
この砂が多く舞えば舞うほど今年の雨が約束されるということもあって、参加者も負けじとおたがいに熱くなるほど砂をかけ合う。
ところかまわず砂をかけあうので、田人田牛ともがっちりガードを固め、参加者はまたゴーグルに雨合羽で完全防水仕様。
境内くまなく逃げ回る参加者を追いかけては砂をかけまくり、テレビの取材クルーも逃れられない。
最後は、松苗と田餅とよばれる福餅が撒かれ、持ち帰った夏苗を玄関口において五穀豊穣を、田餅は食べて無病息災というご利益にあずかる。松苗も田餅もがっちりいただいて帰宅できたのは、「こいつあ、春から縁起がよいわいなあ」。

自制

鳥も來て小さき梅園賑はへる

公園の一画の梅園。

日曜だから人が多いうえ、バーダーたちもカメラを携えて集まってくる。
彼らの目当ては梅にとまるジョウビタキなのである。この時期特別珍しい鳥ではないのだが、日曜バーダー、カメラマンにとっては格好のターゲットだ。問題は、三脚を置いたりして梅園の順路をふさぐマナーの悪さである。
おたがい大人だからいろいろ言いたくないが、趣味がこうじて顰蹙をかうような真似だけは避けてもらいたいものである。

三日月

冴返る君送る夜は月尖る

今日も五、六度しか達しない寒さ。

そう言えば、昨夜通夜の帰りに生駒の西に今しも沈まんかという三日月(正しくは四日月)を見た。
地に近くなると、しかも大阪の夜の明るさが背景にあると、月には澄明さが失われるのだと実感した。
明日も、明後日も寒い日が続くという。
こうなると、冴返ると言うよりは「冴ゆ」と言ってもおかしくはないほどだ。

花籠

ちりぢりに通夜客別れ冴返る
料峭や通夜席甘き花の籠

まほろば句会の選者が亡くなられた。

この一二年めっきり足腰が弱られたが、直前まで元気に投句されて、最後は入院先で九十三年の生涯を閉じられた。
初めて句会というものに参加したのは六年前、都度眼前の季題のとらえ方など丁寧にやさしくご指導いただいたことが懐かしい。
この「料峭」という言葉を教えてくださったのも先生で、寒の戻りが厳しかった今日の風に似合う言葉であろう。
ホールの中は暖房もよく効いて花籠の百合やカトレアなど甘い香りが会場いっぱいに広がっていたが、外との気温差は大きく通夜の儀を終えても誰も語ろうとせずそれぞれ帰途についた。