自家製

紫蘇の葉の笊に水切り梅仕事

そろそろ出回る頃と雨をついて産直市場へ。

葉だけパックにつめてたものがスーパーで売られているが、やはり摘んだばかりの地元産のほうが安心だ。
がいして奈良で買う野菜は固くて、とても褒められたものじゃないが、梅漬けに使う赤じそはやはり新鮮さを優先して地元のものを買うことにした。
親戚にもらうばかりだったので、今まで漬けたことがないのだが、今年はどういうわけか梅の実がたくさん成ったので自家製梅干しに挑戦することにした。

梅漬け用のボトルがどこかにあったはずと納戸を探っていると、熟成15年物の花梨酒が出てきたり、去年仕込んで以来放置してあったの梅ジュースが意外にも黴もなくいい味に仕上がっていたり、ちょっとした余録にもあずかり、梅仕事もなかなか楽しいものである。

塩分15%とやや控え目にしてどうか黴がでませんように。

雨のかんばせ

花合歓やまつげこぼるる雨しずく

合歓の花とくればどうしても芭蕉のあの句が立ちはだかる。

象潟や雨に西施がねぶの花

雨に煙る象潟に沿うように咲いていて、伏し目がちの風情に気品あふれる合歓の花であったのであろう。
今日の雨の日、合歓の花を間近に見るチャンスがあった。高く育つ木なのでたいていは下から見上げることが多いのだが、今日はまだ幼木というか若い木だったので手にとって眺めてみた。

まるで、ぱっちりしたお目々のまつげだ。
これが雨に顔を曇らせている美人の愁いのかんばせの小道具だったのだ。

震度4地域

父の日の祝ひも兼ねて地震見舞ひ

いきなりのガタガタには驚いた。

ありがたいことに、いろんな方面から見舞いの電話が。
昨日は、子供たちから父の日だからといって特別何もあったわけじゃない。
まして、すでに父の日のプレゼントはもらっているので、慣れたもんである。
そんなこんなで昨日は音無しだったが、今朝は地震の報を聞いて安否を尋ねる電話をくれた。
東日本地震以来いざというときのために、twitterで安否を知らせあうことにしているが、今回はそれほどのこともないと判断したのだが。

近畿中部と日向灘沖地震は南海トラフの前兆ともいうので、念のため飲み水を買いに走った。
風呂の湯も当面は即日に落とさずに、万一に備えようと思う。

腰の強いほうが好き

三脚のレンズの先の行行子

名の通りである。

ぎゃあぎゃあと賑やかだ。
どこかと探す手間も要らない。カメラマンの長玉レンズの先を見るだけである。
枯れ葦の先端を器用に両足でつかんで大きな口を開けて鳴いている。
毎年、葦原の半分だけ刈っては残りを野鳥のために残している。若い葦もすっかり伸びたのだけれど、やはり腰の強い枯れ葦のほうを好むようである。

草の行方

草刈るや厩転じて機部屋に

古民家巡りをしてみた。

もちろん、もう今では誰も住まない文化財となっているのだが、どれも地域独特の工夫がこらされた建物で、間取り、壁、屋根、どれをとっても昔の暮らしを彷彿とさせる。
江戸から明治へと文明開化の波が地方にも押し寄せてくるとともに、暮らしぶりにも変化があらわれ、さまざまな改造も行われたようである。
農事の大事な伴侶を家の中に飼うという、まるで遠野物語に出てくるような暮らしぶりも垣間見たが、これとて明治になってからは機織りの部屋と化していた。
農業中心から、絹などを織る副業も盛んに行われたのであろう。

畦の草刈も、今ではエンジンをうならせて粉々に刈りとってしまう。かつて牛馬に与えていた草、今はいったいどこへ消えるのであろうか。

菌糸集合!

梅雨茸ボール蹴るごと少年蹴る
少年のボール蹴る真似梅雨茸

草原のかしこに茸が顔を出している。

周りを見ると、あちこちに干からびた茸が散らばっている。
食べられそうもないように見える茸は、誰かが遊び半分蹴散らしたとみえる。
気をつけて歩くと公園のあちこちで茸が湧いている。
菌糸、黴菌大活躍の季節である。

とりこ

蜘蛛の囲の一輪封じゐたりけり

小山梔子の生け垣が見事である。

よく刈り込まれているが、よく見るとところどころ蜘蛛の巣が何重にも張られている。
なかに、虫ならぬ山梔子の花が一輪取り込まれているのもあった。
取り込まれてはいるが、あの香りには間違いがなかった。