荒っぽい酒

燈台の崎旋回し磯開

第四日曜日は参加結社の月例会の日である。

が、今まで参加したのは一度きりしかない。
何となく敷居が高い雰囲気があって、尻込みしてしまうのである。
で、今日の兼題はと調べてみると「磯開」というのがあった。
魚貝や海藻類の解禁のことであるが、用例をみると海女、蜑が多く詠まれている。そんな磯開きの見聞はないのであるが、昔に漁港の安全祈願の祭に呼ばれたことがあるので、想像で詠んでみた。

汐祭と呼ばれるその祭は、神舟と呼ばれる小舟を仕立て、後には供奉船、お囃子船の一団が続いて海上で儀式を行うのである。
かつて時化にあって多くの舟が沈んだ場所に着くと、酒、米をふるまい三度旋回して母港に戻る。
直会では、漁港自慢の穴子づくしの料理と荒っぽい酒にもてなされ、漁師気質の一面にふれたのであった。

根比べ

根負けをしさう狭庭のいぬふぐり

枯芝の間から、青いものが顔を出している。

いぬふぐりだ。
種を靴につけてきたか、どこからか飛んできたのか。
去年あたりから、ぽつぽつ目立つようになった。
今のうちにと、一本一本抜いてはみたが、根こそぎとはいかないようで、またどこからか顔を出す。
いったん侵入したらなかなかしぶとい奴で、しばらくいたちごっこが続きそうだ。
歳時記にもちゃんと採り上げられている季題であり、よその野原で見る分には「春だ春だ」と喜んでいいが、自宅の庭となると厄介者である。
根負けしないようにせっせと庭に出なくちゃ。

石庭

荒砂の掃き目に点す落椿

白砂の砂に真っ赤な椿。

掃いたばかりと思われる白砂に、これまた落ちたばかりの赤椿のコントラストに目が集中する。
静寂のなかに身を置くと、全身で受け止めているような錯覚さえおぼえる。
椿で覆われつくされた径ももちろんいいが、たった一花そこにあるだけですべてを語り尽くしているのもまたいい。
椿と言えば、五色の椿で知られる白毫寺が有名だが、まだ一度もその季節に訪れたことがないのが残念である。

満五歳

つはりとふ兆しありしか孕み猫
大通り駆け抜け通ふ孕み猫
ここ二日通ふことなし孕み猫

子供たちが生まれたのは五年前のちょうど今頃だ。

それまで、毎日三度の給餌に欠かさずやってきていたのに、急に姿を見せなくなったのはどうやらそのときお産を迎えていたのだと後で分かった。通りをへだてた農家の納屋が産屋と見られ、その付近で何回か目撃していたが、一月半ほどして、早朝突然庭先に子猫四匹を連れてきたのには驚いた。
母親は前年生まれでふらりとやってきた野良ちゃんだが、もともと小柄で小太りしてたし、おなかも目立っていたわけではないのでまさか妊娠していたとは思いもしなかったのである。
その後の話は、ここで何回かふれた。
四匹のうち一匹は事故があったらしく突然姿を消したので、家にいるのは三匹で、今日は夕方から炬燵を入れてもらってのびのびして寝ている。

お彼岸渋滞

お彼岸のいざ鎌倉へ人ひとひと
相模湾望む墓苑の彼岸かな

若い頃鎌倉へ入ろうとして、大変な渋滞に巻き込まれたことがある。

鎌倉へ入るにはいくつも道筋があるが、その一つに朝比奈峠がある。
名前の通り、和田義盛の三男、朝夷奈三郎義秀がたずさわったとされ、鎌倉時代に横浜方面と結ぶため開かれた、物や人の往来が盛んなルートである。ただ、実態は峠と名がついていても「切り通し」であったのであるが。
それが、いつ頃だったか、山の高いところに県道ができて、やはり今でも横浜方面からくる車の最短ルートとなっている。
実は、この峠付近に有名な大霊園があって、彼岸や前後の休日などは大変混雑するのである。
春本番となれば、ただでさえ鎌倉観光のひとがどっと繰り出すのに加え、峠の霊園で多くの車が出入りするものだからたちまち大渋滞となって、ときには渋滞の最後尾が峠の入り口ということもある。

あの金沢文庫がある横浜・金沢方面からのハイキングコースはその切り通しを経由して鎌倉八幡へ抜ける径で、昔のままの切り通しを抜けるダイナミックなルートであるが、最近通行禁止になったとも聞くが復旧されたのかどうか。

持ちつ持たれつ

そのなかの一羽椿の守ならむ

見事な椿には多くの鳥がやってくる。

ときには鳩のような大物がやってくるときがあるが、我が物顔して枝を揺らすのはやはり鵯のことが多い。
椿の立場からしても、おおいに蜜を吸うものがいて、受粉を促してくれるのは大歓迎のはず。
椿と鵯の持ちつ持たれつ、毎年同じ光景が繰り返される。

薬石の効

六文銭バット持たせて春の雨
肩広の骨を拾うて春の雨
強肩の体躯棺に春の雨

「春雨」と「春の雨」というと似ているようで違うような気もする。

春雨は文字通り、「濡れていこう」の春雨である。いよいよ暖かさをもたらし、ものの恵みをもたらすという明るく、艶やかなイメージが伴う。一方、後者は暦が春になったばかりの頃で、それまでの雪に替わるものとしての雨というイメージであろうか。
実際には、ホトトギス歳時記では同じ項に並べられているので、あくまで私見ではあるのだが。

高校の同窓生が亡くなった。
一年近く格闘したが、野球で鍛えた体も病には勝てなかったと聞く。
幅広の肩も骨ばかりになって、棺におさまった姿を想像する。