乾いた雨音

朴落葉雨を確かむたなごころ
朴落葉打つ雨音の乾きゐし

まるで草履のように大きい葉である。

これが目の前に落ちていて踏むのをためらっていると、雨が降り始めたようだ。
手のひらを返して受けるようにしてそれを確かめると、間違いなく大木の枝をすかして落ちてくる雨がある。反り返るようにして形をとどめていた朴の落葉が乾いた音を返しはじめた。
葉を踏まないように避けながら通り過ぎることにした。

“乾いた雨音” への4件の返信

  1. 朴の落葉、確かに草履のようです。
    飛騨地方に多いですが私のウオーキングコースにもあります。
    今は乾いた落ち葉が重なり合っています。
    朴葉寿司、朴葉味噌いいな~

    三日間、留守をし田舎のあちこちを走りまわりました。
    なか日、歴史、文学好き?の友人達と故郷の歴史探訪を。
    ここ数年来、古典を学ぶうちに我が故郷のルーツが気になりだし友人をけしかけた。
    故郷には郷土史に詳しく研究熱心な人々も多い。
    平家落人の里伝説やゆかりの場所が地域内には点在している。
    集落の御前山(150M)という山に案内してもらい平家六代家盛夫人の辰御前の墓を尋ねる。
    昼食を挟み万葉集(卷1-22)
      河上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて
    十市皇女が伊勢神宮に参赴の時、吹芡 刀自が詠んだ歌である。
    (多分斎宮へ大伯皇女を尋ねたのだと思う)
    この場所を確認するのが今度の目的であった。
    万葉学者、犬養孝によれば諸説ありとの事。
    中でも土屋文明氏の一志町波瀬の波瀬川が有力説である。
    この場所を見る為に6人がワクワクしながら私は土屋説を力説したのである。
    その場所はメンバーの一人が小学生時代に泳いだ川で大きな岩があったと言う。
    清水橋(しょうずばし)の下を覗いたが目立つ岩はない。
    橋の下流を見ると元は大きな岩ではないかと思える痕跡が二か所ほど見られる。
    今の波瀬川は子どもの時と大きく変化している。
    水量は極端に少なく川底は土砂で埋まっている。
    もしかしてこの岩がもっと大きかったのかも知れないと友人は言う。
    背景には横山の連山が低く連なっている。
    ちなみに私が泳いだのはここよりもっと上流で矢頭山の源流に近い。
    万葉学者、犬養先生が「万葉の旅」の出版にあたり学生と旅をしながらこの大きな岩の写真を撮られたのは昭和30年代後半である。
    写真にある横山と大きな岩は、我々が小学生時代は健在であったと考えてよい。
    更に川辺に佇んでいると川沿いの住人が顔を出し何をしているのかと訊ねる。
    そこでかくかくしかじか、万葉集の話をするとそのS15年生まれの男性が乗ってきて土屋先生の話を始めるではないか。
    思わず土屋先生がこの地を訪れた時の感動の言葉が甦り意気投合、この辺りの一軒の家で土屋先生は飲み物を所望されたそうである。
    その事が郷土資料にも残されていて私はその説を読んだ時から土屋説をずっと支持するようになった。
    その晩、私は十市皇女と刀自、さらに「天上の虹」を想い興奮して眠れなかった。
    故郷には私の知らない埋もれた歴史や伝説、由緒ある場所がまだまだありそうである。
    ちなみにこの川辺の細い路地は昔の参宮街道とのことである。
    すべては斎宮へそして伊勢へ通じているようである。
    伊勢へ通じる集落に何もない筈がない、まだまだ面白い話がありそうで私は当分波瀬から目が離せない。
    惜しむらくは昔の知識人、研究者、学者らが故人になった事である。
    気づきと目覚めが遅すぎたの感ありである。

    1. 「始むるに遅きは無し」と言います。「思ったが吉日」とも。
      何とかGoもいいが、日本の心はいつまでも保ちたい。
      共有する歴史、文化を持たなければ民族のアイデンティティは薄れます。
      歴史、神話・伝説を共通にもつ我々の自信を取り戻しましょう。

      先日思いたって名張の夏見廃寺遺跡資料館に行ったら定休日でがっかり。歴史の跡をこの足で踏むのは楽しいですね。

  2. 朴、大きな葉っぱですよね。当地では見かけません。まあ柏の葉くらいです(柏は枯れても落ちない)。朴落葉に乾いた雨音、いかにも11月です。

    昨日はえらい雪でびっくりしました。どうも五十年に一度の気象現象が多いですねぇ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください