共助で

定年となりて煤逃封印す

定年ともなると、煤逃げの口実が見つからない。

それに、自分も歳をとったが連れ合いも色々ガタがきてもおかしくない。
腰をさすりながら掃除しているのを、知らぬ顔決めるわけにはいかないし、ふだんから掃除機などはなるべく分担するようになっている。足腰が立たなくなって「煤籠」せざるを得なくなるまでは、家事を分担しながら、共助の精神でいくのがいいというものだろう。

今日は、納句座。納会もあるので予約投稿である。

“共助で” への4件の返信

  1. 「煤籠」なんて言葉があるのをはじめて知りました。
    煤が舞い散らないようにそっと過ごします。
    私も煤籠したいくらいですが単なる怠けものとしか取られませんね。

    1. 歳時記は言葉の宝庫ですからね。そこから学ぶことばかりです。俳句を勧められ、今ではほんとうによかったと思うことしきりです。

  2. そうですね、普段の掃除をパッパッといい加減にしてるんで、埃や煤がたまってしまう。年末になると酷い状況です。この所一連のほだかさんの奮闘ぶり、我家もまったく同様です。まあやれる範囲で頑張るしかありませんね。

    1. 濡れ落ち葉にならないためにも、家事は少しずつ分担していくのがいいようで。
      窓ふきなどは暖かくなりそうな日を狙ってますが、このまま大晦日まで寒波でしょうかね。

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