ゆるい

うららかや髭の講師の城語り

ブレークと言っていい城ブームである。

その中心にいる先生の講演会があって、二時間ばかりを大和の城の話で楽しんだ。
なんでも、砦も含めると大和には400もの城があるそうだ。
山城として知られる高取城、大和国人や筒井順慶らの城、松永弾正の信貴山城、多聞城、羽柴秀長の郡山城など数えてみればたしかに歴史の要所要所に顔を出す英傑たちの城は多い。
古代ばかりが注目される奈良だが、中近世、近代のもっと注目されていい観光資源がまったく活かされてないのは惜しいとの話には説得力がある。
たしかに、よそもんの目からは民間の活力がまったく感じられない県で、いくら県や市などが予算を投じてイベントを企画しても単発で終わってしまうようなところがあり、笛吹けど民は踊らずという感じである。宿が日本一少ないと言われても、誰も手を上げる人が出ず、市有地跡地のホテルにも県外の外資系だけが入札したりとか。
京都のように、古代から近代までの資産をうまく活用して観光都市として冠たる地位を築いたのも、維新以降取り残された京都に活力を絶やさないよう、ひとえに民のたゆみないアイデア、努力の積み重ねがあったこそである。
およそ奈良の人たちは、べつに京都のようにならなくていいというようなところもあって、お上など周りのものがいくら騒いでも簡単にはこの県民性を覆すのは容易ではないと思われる。逆に言うとこのゆるさが奈良の魅力かもしれないなと、最近は思うようにしている。

“ゆるい” への8件の返信

  1. ちょっと意外、400もお城があるとは。
    そして宿が日本一少ないのも。
    それが奈良の個性と思えば納得ですね。
    子どもの頃、奈良はお隣の県、イメージはやはりお寺と鹿。

    最近知って驚いたことは日本で一番神社仏閣が多い都道府県は愛知県だそうです。
    これも意外や意外です。

    今日は近くの陸上自衛隊小牧基地で航空ショーがあり上空では何度もブルーインパルスが美しいラインを描いていました。

  2. そうですか、大和には400もの城ですか。正に意外でした。
    でも400が一度にあったということでなく、潰れてまた新しく建てということで累計400ということなんでしょうね。歴史的には一番古い地域ですから当然と言えば当然かもしれません。現在でも城郭が残っている城もあるんですかね。

    1. 郡山城には天守はないものの櫓などは残っています。
      有名なのは日本三大山城とされる高取城ですが、立派な石垣が累々と残っているようです。トレッキング覚悟で登らねば到達できないので写真でみただけです。
      400の城の大半は山城で、国人が割拠していた大和では大勢力を形成できなくて、高い山の天辺を拓いて中央の大勢力に抵抗していたようです。

  3. 奈良に400の城が!
    小生もマニアックではありませんが 城と古墳は大好き。でも城郭より
    その形と言うか形状が好きで、廃城一歩寸前が大好きです。
    (要するに 「山好き」の延長ですね)
    高取城とか千早城とか奈良には そういうのがたくさんありますが
    ほたかさんのブログでは、いままで あまり(?比較的)
    取り上げられなかったので 意外でした。
    先生の講演会=二時間ばかりを大和の城の話、どんなお話しか
    機会があれば紹介して下さい。

    1. 郡山城をのぞき基本山城なので足が向かないことがありますね。信貴山城跡などはたまたま信貴山の鉢まで登ったとき眺めましたが、すっかり林に埋もれてて、こんな狭い山の頂上によく作ったものだと感心します。眺めは最高ですが。

      千田先生の話は、中世以降の大和武士の歴史とその城の構造が中心でした。真田丸で有名になった「厩出し」は16世紀中頃から見られるようになったという話を、当町の立野城(今は開発されて大きな住宅街。名前もずばり城山台)の例を上げての説明にありました。要するに、籠城だけでなく、打って出る構えも備えるようになったと。

      城自体というのは、何百年という時の流れ、そして現代をどう感じ取るか、俳句に詠むには難しい対象です。安易な類句的な方向に流れそうで、敬遠したくなります。

  4. 講師は、あの奈良大学長の千田先生でしたか。
    千田さんはNHKの趣味でドキッ!始め、太河ドラマ「真田丸」に
    便乗(?)して昨年はメディアへの露出度が高かったですね。

    なるほど「城自体俳句に詠むには難しい対象」のようですが、
    城好きのFOLLOWERも居ますし、400も控えているので
    たまには取り上げて下さい。

    1. 略歴をうかがうと、1,2年ごとに新しい仕事(役職)なども引き受けられて、去年などは日本で最も多忙な先生だったかもしれませんね。
      一回だけ、城に触れた記事があります。
      空鉢護法堂へ
      信貴山城跡らしきものは、一面の林の中でした。
      これから意識して城跡を詠んでみましょう。

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