右肩の少し怒れる案山子かな
今日は飛鳥吟行。
飛鳥寺付近、祝戸付近(石舞台あたり)、稲渕付近、橘寺、天武・持統合葬陵。
おかげで句材はいたるところに困るほど。
最近では町おこしと称して見せ物案山子が多いなかで、雷丘を過ぎたあたりで本物の案山子二体を発見。
頬被りして古浴衣着せられ、昔ながらのスタイルである。
ちょっと滑稽だったのは、右肩上がりならぬ、右肩怒り。両裄は一本の竹だから、当然左肩下がりとなる。
伝統的スタイルの案山子が廃れてゆくなか、「右肩上がり」というのが妙におかしくて独り悦に入ったのであるが。
広範囲を吟行されたのですね。
句材が多すぎるのも一点にしぼれなくかえって迷いが出るというもの。
そんな中で案山子のスタイルや表情を詠むのも一つの方法ですね。
最近では田舎でも滅多に見られないし、もちろんこの辺で案山子にお目にかかれることはまずありません。
時間をかけて納得できる句に仕上げたいと思います。
盆地でもめったに目にすることはありません。今日はほんとうに珍しかった。来月は高取町の案山子祭吟行ですが、稲渕の案山子も見てきたし、ちょっと食傷気味。
右肩上がり。
何という良い響きの言葉でしょうか。
かつて、右肩上がりの成長率とか、バブルのころには良く使われましたね。
語源はグラフの右肩が上がって、先々よいことが期待されるところからでしょうか。
相場の世界でも、罫線が右肩上がりであれば申し分なし。
とはいうものの、過去のパターンから将来を予測しうるものの、現実にそうなるかは別問題であります。
しかし当時は縁起を担いで、信楽のタヌキを始め、身につけるネクタイのストライプにまでこだわったものであります。
あとでよく考えてみると、自らの方向からは何のことはない、左肩上がりになってしまい、結果、案山子さんならずとも、右肩は下がってしまうのであります。
ものごとは見方次第ということでしょうか。
案山子さんも見る人から見れば、右肩下がりになっているのであります。
70年も生きると、いろいろありました。プラマイゼロということがいいんじゃないでしょうか。プラプラでは妬まれたままで逝かねばなりませんからね。これも、考え方次第で。