うねる絨毯

蕎麦の花山畠うねりゐたりけり
山畑のうねりの谷の蕎麦の花

山を切り開いて作った畑。

見渡して、ずっと1キロ先まで畑が続く。
開墾したと言っても、自然の地形を利用した畑だから高低差があるのは当然だ。
その高低差をたくみに開けば、おのずと波状型のうねりをもった土地になる。
蕎麦の花咲く丘ひとつ越えてその上に立てば、うねりの底もまた畑で、そこも一面白い花の蕎麦畑であった。

蕎麦の茎は赤い。その赤に紛れるように犬蓼が赤い実を付け、赤蜻蛉が群れて飛ぶ。
うねりの底から丘を見上げれば、赤い絨毯に白い花が浮いているようで、それがそのまま丘の上へと空につながっているように見えた。

“うねる絨毯” への6件の返信

  1. 季節は巡る、そういえばもう蕎麦の花。やがて新蕎麦が食べられます。

    三重では昔から蕎麦文化とは縁遠かったように思います。
    むしろ米文化で伊勢平野は温暖湿潤、どこでもお米が獲れたおかげで蕎麦を食べる習慣はなかったように思います。
    したがって蕎麦畑は見かけなかったし私も二十歳過ぎまで蕎麦というものを食べた経験がありません。
    どちらかと言えば「うどん」でしょうか・・・

    1. 大阪も昔は蕎麦屋の記憶も幽かです。店の名前も「更科」と、地元由来ではなかったような。
      やはり粉もん文化、うどんでしょう。
      紀州の山奥でも蕎麦の話はあまり聞きませんし。
      人が西東動くようになって関西でも食べるようになったのでしょうか。
      津だって、中華料理店ができたのは昭和30年代半ば頃ですしね。

  2. 関西と関東。
    新幹線でわずか2時間半なのに、なんでこんなに違うんでしょうね。

    関西から関東に転勤してビックリしたのは、天婦羅や蕎麦のつゆの色の濃さ。
    が、しかし食べてみたらさほど濃いものではなく寧ろ甘味。やはり醤油の濃いくち、薄くちの違いなんでしょうかね。味噌に至っては全国各地の味・色がありますからこれはもう東西ではかたずけられません。

    お好み焼きだって東は主食、西はおかずの感覚。お好み焼き定食なんかもありますもんね。
    お酒のつまみも、東が「おつまみ」に西は「お通し」。そもそもおつまみにして東で、西は「あて」ですもんね。

    ややこしや~。
    それより、朝からの集中豪雨。奈良、和歌山、三重。大丈夫かな~。

    1. 関東のお好み焼きは自分で焼く。これは「もんじゃ」の伝統を引き継いだものでしょう。
      関西では、焼いて出しますが、あれはそのむかし駄菓子屋のおばちゃんが焼いて食べさせたのが始まりでしょう。(多分)
      今朝のNHKはマヨネーズ特集。昔のタコ焼きもお好み焼きもマヨネーズはかかってませんでした。小学生の頃、市場のくじ引きで当たったマヨネーズの食べ方を母親も知らなくて、腐らせてしまった思い出があります。昭和30年代半ばまでは日本人はマヨネーズに縁がなかった。だからというか、いまだにあの、マヨネーズをかけて粉もんを食べるというのができません。

    2. 初瀬川沿いでは避難勧告出ました。しかし、8時頃には雨も小降りになってきたので,それほどひどい被害は出てないようです。
      盆地は雨が少ないんですが、たまにちょっと降られると小さな河川が多いのですぐ氾濫します。
      これがみんな大和川に注ぐので、温暖化のゲリラ豪雨があれば王寺あたりはいつかまた洪水に遇うでしょうね。
      三重は雲出川沿いが心配されますが、どうなんでしょう。

  3. あっ、御免!!
    東の「おつまみ」に対して西は「あて」。「お通し」に対して「つき出し」ですよね。

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