残すに足りるもの

冬ぬくし作字だらけのゲラ刷りて

活版印刷の時代が懐かしい。

印刷業界はとっくにコンピュータ化が進み、活字拾いの職人を一掃してしまって、もはや名刺や趣味のものなど特殊用途の、しかも小さなロットのものしか利用されてはいまい。
インクの匂ひに満ちた校正室の狭さも、赤ペンで真っ赤になったゲラ刷りも、大きな広辞苑が置いてある書棚も、編集者や整理担当の煙草の煙りも、今となっては遠い世界の話だが、あの凹凸ある活字の味わいは独特で、もし自分が本を作るのならたとえ表装が粗末でも活版で印刷したいと思う。部数もせいぜい十数冊程度ぐらいで、親しくしていただいている人に一冊ずつ手渡しでお分けできればいいと。
あとは、活字で残すに足りるものを書けるかどうか。それだけである。

ここで、「作字」とは:
活版の活字というのは同じ字でも書体や大きさなどさまざまあり、職人さんは一文字ずつ拾っていくわけだが、場合によっては在庫切れ、あるいは標準で手許に置いておけないようなレアな文字の場合は、「欠字」と言って黒く塗りつぶした活字を暫定的にはめ込むのである。そのなかで、後者の場合、偏と旁をそれぞれ組み合わせたりして字を作らなければならない。人名など特殊な場合にたまにある。

“残すに足りるもの” への2件の返信

  1. 書を習うきっかけとなったのは年賀状を筆書きしたいという憧れからである。
    それこそ六十の手習いを初めて10年余り、いまだに筆が思うように運ばない。
    そこで思い切って今年は表書きだけでも毛筆でと思い先生にお手本をお願いした。
    所が数枚書いてもう諦めた。時間がかかることこの上ない。
    100枚余を筆でしたためるには膨大な時間と根気が要る。
    あえなく諦め元のもくあみでペン書きとなる。
    あ~あ~何たることよ。

    1. その百枚を半分いや三分の一、四分の一に落とせれば100%筆書ができると思いますよ。
      私もさすがにもう百枚も出そうとは思わなくなりました。一昨年半分以下にしましたが、これから先もう二度と合うことはない人を対象に、今年はさらに減らそうと考えています。

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