時宜ということ

標張つて名の札打つて寒肥す

ロープで仕切られた区画が一面白い。

近づいてみると、どうやら肥料が蒔かれたらしい。
広い敷地に幾何学模様の畝が作られているのはチューリップ花壇である。
見ると、公園のあちこちに養生中の区画があり、おそらくどれも花壇のようである。
どうもわが家では、今年こそとは思いながら、結局寒さにかまけて寒肥の時期を逸することが多い。何本とないわけだから庭木くらいはちゃんと時宜を得たご飯をやらなきゃね。

“時宜ということ” への4件の返信

  1. 我が家の小さな庭も冬枯れの荒れ放題。
    草花はここ一年以上植え替えたことがないし庭木も荒れ放題。
    なぜか連れ合いは何もやる気がしないとか。

    昨日から家内安全を願い三重へ墓参り、新年の挨拶もかねてのこと。
    帰宅したら洗濯物は取り込んであったものの部屋に放り込んであるだけ。
    この現状を見ると疲れが倍増する。なぜたたんでくれないのか?
    世間では掃除も洗濯も食事の用意までしてある話を聞くというのに・・・
    新年早々愚痴第一報?

    1. 何もやる気がしないというのも気になりますが、それでも仕事に出かけておられるのだから「ゆっくりしたい」というのはあるでしょうね。年齢を考えてペースを落とすことも大事かと。

  2. 庭の手入れ、なかなかできませんよね。でも気になさってるだけえらいですよ。ウチは全くやってません。なまじちょっとやりだすと却ってストレスになるので一切やらないと決めて楽になりました。落葉・ごみの掃除だけです。
     →神さまごめんなさい。別に居直ってる訳ではありませんので。。
     

    1. 木が年々大きくなって大変でしょう。まだ築が浅いので若い木ばかりで、多少楽です。隣の空き地からいろんな種が飛んでくるようで、雑草はうんざりしますけどね。

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