人間失格

家事の間縫ひ自分の畑を冬耕す

野良着というのではなく、普段着である。

小さな畑に鍬をふるっている。
一家が食べるだけほどの小さな畑である。
いかにも家事の合間を縫ってちょっとした畑仕事をこなしているという風情である。
そのシルエットをしばらく見るともなく眺めたいたら、ふとこんな句が浮かんできた。
もちろん、雨の今日ではなく数日前の光景だ。
人間らしく生きるためには、どんな小さな畑も、つねに耕しておかねばならない。
カルチャーとはcultivateからきている。culturedというのは心が練れたひと、教養あるひとのこと。
義父は書をやるひとだったが、仏間に「耕心田」と自書の大きな額をかかげていたのを思い出す。
人間だけが「耕す」ことを知っているのだ。
耕しを忘れたら人間失格であろう。

“人間失格” への2件の返信

  1. 「私は畑のおばさんよ」というブログをアップしている人がいる。
    結構こまめに畑を耕しているのにいつも感心している。
    両親は老齢になっても畑作りを楽しんでいた。
    私などは自分で何かを作ったという経験がなくしたがって本当の収穫の喜びというものを知らない。
    今、私は何を耕しているのだろう・・・

    1. 畑でも鉢でも、自然相手のものだから、腹がたつことがなくていいものですよ。天候不順でうまくいかなくても、虫や病気の害にやられても、対応する術をもたなかった自分が悪いだけ。だから、うまくできたときの喜びは何ものにも代えられません。素人の趣味のことですから採算は度外視。二十日大根あたりから始めれば簡単でいいですよ。

      映画、書、カルチャーセンターでの学習、どれをとっても知的な作業には違いないでしょう。どれも人間というものを知り、自然の不合理を知ることができ、どれも生きる知恵となってひとを養うものだと思います。

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