牙を剥けば

僚船の無線の否や卯波立つ
西よりの蜑の恐るる卯波かな
遠富士に帰港急かるる卯波かな
水難の碑の半世紀卯波の海
卯波立つ校歌に美しき伊勢の海
卯波立つ浜は名うての二枚潮
上げ潮に川さかのぼる卯波かな

海のない国なので、過去から引っ張ってきた。

誓子が病気療養中長く伊勢にいたことは有名だが、そのおり戦後新制高校ができて校歌の作詞を依頼して誕生したのが母校の校歌である。70年近く歌いつがれてきたわけであるが、そのふだんは優しい海もときに牙をむくときがある。
あれは昭和30年頃だったろうか、一見何の変哲もない砂浜で、中学生数十名が水泳の授業中に亡くなった悲惨な事故があった。近くの川から注ぎ込む水と海の潮が足許で二枚潮となって流れていたのが原因とされるが、以来遊泳禁止となって人が寄りつかない浜となったが、今でも忘れられずにいるだろうかとちと心配である。

“牙を剥けば” への7件の返信

  1. 卯波も二枚潮も初耳です。
    双方とも時に牙をむくのですね。
    津の水難事故はキヨノリさんが何かのコメントで書いていたような気がします。
    橋北中学の水難事故ですね。昭和30年ですか、小学生の時ですね。

    私は「伊勢の海」というといつも思い出す歌があります。
    小学生の頃、何か行事があると歌った記憶があります。
    歌詞はおぼろですがメロディーは今でもはっきり覚えています。
       伊勢の海から昇る陽を体いっぱい浴びながら
       日本晴れの大空に日ごと伸びゆく若人の双葉命たたえよう
    違ったかしら?

    1. 県民歌なんでしょうか。私はあまり記憶がありません。

      あの水難事故の頃は、学校にプールというのは珍しくて、川や海が水練道場でしたね。小学校の頃は六尺ふんどしというのを締めて、おぼれたらいつでも上からつかめるようにとの話でした。

    2. おっしゃる歌についてどこかでコメントしたなあと思ってチェックしたらありました。2012年6月でした。懐かしいです。それとともにこの「一日一句」がいかに多くのコンテンツを含んでいるか改めて感心しています。

      「一日一句 奈良暮らしから」青柳のぬた
      https://www.hodaka.org/archives/1523

  2. えらく時間が経ってからのコメントですみません。
    (レイトタックルは許されませんがねぇ、、、ご容赦ください)

    そうです、橋北中学水難事故は昭和30年、小生小学校3年の夏休みでした。水泳訓練中の中1女生徒36人が犠牲になりました。大事件でした。同級生のお姉さんも多数亡くなりました。ウチにも今中1の孫娘が一人います。明日はその誕生日パーテイです。こんな年の子がと思うと慄然とします。万事緊張感をもってあたることの必要性を改めて感じます。

  3. hodakaさん キヨノリさん
    一日一句は俳句はもちろん幅広いコンテンツに充実しています。
    私など日記風に毎日くだらないコメントを発信していてhodakaさんのブログを汚しているのではないかと時に心配したりします。
    このブログから教えられることや新たな発見は数知れず毎日のルーティンとして欠かせません。

    伊勢の海の歌は多分三重県の愛唱歌のようなものだったと思います。
    今度一緒に歌いましょう!!      

    1. そうか、この話は既出だったのですね。歌ったことがないせいか、すっかり頭から抜けています。
      skyblueさん、毎日の反応感謝してますよ。日記風でも何でも自由に使っていただいてオーケーですよ。毎日続けられる源泉ですもの。

    2. 生き残りの方の伝聞で、当時の経験を聞いたものですから、なんでもないように見える海の怖さが身に沁みてます。

ほだか へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください