仏壇にもいで減らざる庭の柿
菩提寺の供物に二個の庭の柿
生り年なんだろう。
隔年結果とならないよう前年かなり剪定したはずだが、枝という枝に鈴生り状態である。
ただ、ついこの前まで猛暑でいたときには実がまだ青く、収穫できるのはまだ先だろうと踏んでいたら、ここ二三日で急に成熟がすすんでかなりの数が熟柿状態となってしまった。
放置していたらみんな熟柿になってしまいそうなので、今日はずっしりと重くなるくらい捥いだが、とても食べきれない量なので近所にもお裾分け。
毎年、熟柿は鳥さんたちへのプレゼントになるのだが、今年はまだ鵯もやってこず、かれらが来るころにはもうみんな落ちてしまうのではないかと心配になる。
今月26日は子規が例の句を詠んだ日といわれ、当地では「柿の日」として無料で振る舞われる日だ。そういう意味でも今年は意外に成熟のペースが早いという、不思議な年である。
明日は、母の七回忌。
菩提寺の十一面観音さまへは、庭の柿もそなへようと思っている。
もう七回忌ですか、早いものですね。
そういう我が家も来年は確か父が七回忌のはず。
こうやって亡き人の年忌を数えていくうちに自身の残りの人生も確実に少なくなりつつある。
いよいよ終活を真剣に考えなくては・・・
自宅の庭でもがれた柿の実は良い供養になるでしょう。
来週にお墓へ参るので、卒塔婆は持ち帰ってきました。
三輪山平等寺の十一面観音さんは聖林寺にある国宝のレプリカです。もともとこちらのお寺のものだったのが、廃仏毀釈の騒動で聖林寺に移ったのを、お寺再興にあたって寸分違えずコピーさせてもらったそうです。
今日は法要を終えて、いろいろお寺の歴史も聞いてきました。
なかでもびっくりだったのは、島津義弘とのエピソード。大峯信仰の篤かった島津家の寄進も受けて元々縁が深かったそうで、関ヶ原から逃れてきた主従一行を70日間かくまったと聞きました。銀何貫ももたせて薩摩に返す手伝いもしたとか。
幕府にはひた隠しにしたためと、廃仏毀釈であまたの古文書が燒かれたので、日の目をみない貴重な資料の多くが葬り去られたのは残念なことです。