年会報

巻頭に寺さん悼み秋の風
秋風や同志また欠け年会報
消息の知れて身に入む年会報

労組専従時代のOB会報が届いた。

専従はつごう六年にのぼり、いま考えても最も濃い日々の連続であった。
そのなかでも、現場を離れた三年間は機関誌編集にたずさわり、いままで触れたことのない世界の人々に接するにつけ毎日が刺激的で新鮮に思えたものだ。
OB会というのは、永年指導いただいた名物編集長を囲む会であったが、先生が亡くなられてから一時途絶えていたのを、メンバーがほとんど職をひいたこともあって復活したものである。
年に一回開かれる会に出席するには、毎回1400字くらいの小文を提出しなければならず、当日は早めに着いてまずはこの会報をじっくり読み、それがまた総会・懇親会の肴になるのである。
欠席のため再開二号が届いたが、巻頭は永年組合、そして参院議員として活躍された故寺崎昭久氏こと通称「寺さん」を悼む追想文である。去年訃報に接したときも驚いたが、こうして再び寺さんの知らない面をうかがうと寂しさがふつふつとわいてくる。
元いた組織は大きな改革もあってとうに無くなっているので、OB会には新入会員もなく先細るだけだが、みんなの近況を読むとまだしばらくは続きそうにも思える。

“年会報” への2件の返信

  1. OB会って特別なものがあります。
    ましてや組合関係ならばなおさらかも知れませんね。
    会報発行にも携わられたようですが会報の存続って大変なものがあります。
    原稿募集に始まりいかに紙面を濃く充実させるか関係者の尽力は並大抵ではありません。
    私もASC(愛知シルバーカレッジ)の会報作りに一時参加しましたが卒業後6年になり11号に至っています。

    今日は50年近く続くOL時代のOB会に行ってきます。
    総会は年に一回ですが今日は数年に一度の女子会です。
    言ってみればこれはもう青春時代に戻って女子だけのお泊りおしゃべり会のようなもの・・・
    さてどんな話題が飛び出すやら楽しみです。

    1. 体験を共有したものだけでなければ、その場に長くいられない。OB会のほかに、昔のクラスや部活、サークルなどで労苦をともにしたからこそ、一瞬にその昔に戻れるものです。
      私の場合は、専従時代に、それこそ普通の人ならまずは体験することのないくらい、究極に追い詰められたときの人間の醜さ、脆さというものをいやというほど見ました。逆に言うと、人をそこまで追い詰める組織の非道さというものにもほとほと嫌気がさしたものです。
      人は人としてレスペクトされなくてはいけない。
      そんな普遍の道理すら、軽視、無視される時代というのは息苦しくてかないません。
      非常識な人が人に向かって「常識をもて」などと、よく言えたものです。

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