絶滅

狼像虚空に吼ゆる秋の声

今日は快晴。

家人を連れて再度深吉野へ。
一日違えば紅葉が全く違うと言うことを知った。
紅葉は曇りがちのほうがいいというのが結論。
順光はまだしも逆光は全然いけない。人間の目でも暗部がつぶれてしまって、ハイライトの部分しか見えなくなるのだ。
カメラになるとさらに顕著で、暗部を活かそうとすれば明部が飛ぶし、明部を活かせば暗部がシルエットになるだけ。風景写真として撮るときは曇りないしは順光に限るという結論を得た。
昨日書いた通り、昨日でもなく明日でもなく今日の紅葉。まさにその通りだった。
紅葉の素晴らしさは天気、空気の透明度、湿度、光線の具合などさまざまな要因に恵まれることが条件だったのだ。まさに運しだいというわけだ。

ニホンオオカミが日本で最後に目撃(捕獲)されたのが深吉野・東吉野村である。それを記念して村に狼像が建立されたが、意外に狼は小さかった。柴犬を一回りほど大きくしたくらいだろうか。
モデルとなったのは、捕獲された後英国人に売られてそれが今大英博物館所有となっている剥製だ。
その像の狼は、異国で故郷を偲んで遠吠えでもするかのように空に向かって咆哮しているのがしみじみと哀れをさそうのである。

“絶滅” への4件の返信

  1. 再度吉野の紅葉を楽しまれましたね。
    まさにその日しかみられない一期一会の風景との出会い。

    汗ばむような陽気のなか朝から家の周辺の片付けを。
    移動した鉢物や置物を元に戻し洗濯機を4回廻しベランダには所狭しと布団を並べ働き通しの一日、結構重労働である。
    普段怠け癖がついているので夕方にはぐったり、腰まで痛い。
    やはり無理はできないと痛感した。

    昔、シートンの動物記でオオカミのお話が大好きでした。
    最近では木村裕一の「あらしのよるに」が好きです。
    なぜかお話の中のオオカミは愛すべき動物なんですよね。
    そう、哀れをさそうのです。

    1. 滅びに感じる美しさ、ノスタリジアというのはありますね。
      鹿がこれほど増えて人里や森林を害するようになったのも、天敵の不在が挙がられるということですし。厄介な存在でもありましたが、神とも崇められてきた歴史もあります。
      追加書きしたように、最後の狼が外国に売り飛ばされたエピソードがよけいに哀れをさそうのです。

  2. 「ニホンオオカミが日本で最後に目撃(捕獲)されたのが
      深吉野・東吉野村である。」
    そうでしたか、小生は てっきり、関東北部の奥秩父当りかと 思っていました。というのも、あの辺りの神社の ご神体や護衛は オオカミというのが
    多く、一種のオオカミ信仰が今なお息づいているからです。 

    「紅葉は曇りがちのほうがいい」
    なかなか渋い、玄人(?)っぽい指摘ですね。ノーテンキな小生などは
    陽光に浴びた紅葉の美しさしか理解できず はしゃいでいました。
    今度紅葉を見る時は 暗部も じっくり 見ようと思います。

    1. 明治38年(1905)の話だそうです。紀伊半島では狼を崇めたという話はあまり聞きませんので、猟師などに駆逐されていたのかもしれません。

      写真家の目はまた別かもしれませんが、一般には陰影が強く出ない曇り日がまんべんなく紅葉のグラデーションを楽しめるように思います。

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