周濠の涸れてとりつくしまあらは
埋められてしまったものがあれば、干上がって蔓が生い茂るものもあったり。
昨日は道路に割かれた帆立型古墳。
今日は、その帆立型がはっきりとわかるほどよく保存された別の古墳である。
知られた古墳というのは、一般に周濠により隔てられてはいるが、なかには陸続きになっている部分が残っているものもある。
祭祀の場所などがそうだが、それすらも立ち入りが禁じられているのが普通である。
ここも宮内庁管轄でもなく、立ち入ってもよさそうだが、危険なところでもあるのか全面立入禁止のようである。
近くに「二子山古墳公園」があります。
前方後円墳で墳丘は全長100m近くあり、墳丘を取り囲む盾型の周濠を持ち6世紀初頭のものらしい。
隣接する埴輪館には出土された埴輪が展示されている。
こんな近くに古墳があるなんて孫たち家族が住むまでは全く知らなかった。
限られた日には立ち入りができるようである。
尾張には古代から有力な豪族がおりました。大和にも近く姻戚関係も結んだことでしょう。
古来、「東国」といえば尾張が最も有力な勢力で、壬申の乱でも大海人皇子の中心的な勢力だったようです。
そんな歴史を鑑みると、関東よりももっと多くの古墳があるはずです。今後の研究が待たれますね。