言の葉に弟背と申す山眠る
散歩するとき常に視野にある山である。
山から見ると北にあるわが家からは、二上山は雄峰のかげに雌峰が入ってひとつの山にしか見えない。盆地中央部くらいになるとようやく双耳峰であることが理解できるが。
大津皇子が葬られたこの山を「今日から弟と思おう」と詠んだのが姉の大伯皇女だ。古代史ファン、なかでも大の皇子ファンとしては、いつ見ても特別な山。この山を起き伏し眺められる幸せは代えがたいものがある。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
言の葉に弟背と申す山眠る
散歩するとき常に視野にある山である。
山から見ると北にあるわが家からは、二上山は雄峰のかげに雌峰が入ってひとつの山にしか見えない。盆地中央部くらいになるとようやく双耳峰であることが理解できるが。
大津皇子が葬られたこの山を「今日から弟と思おう」と詠んだのが姉の大伯皇女だ。古代史ファン、なかでも大の皇子ファンとしては、いつ見ても特別な山。この山を起き伏し眺められる幸せは代えがたいものがある。
誰にも憧れの山はありますよね。
それは名もなき小さな山であってもその人にとってはかけがえのない山。
私にとっては「矢頭山」故郷への入り口でいつも変わら姿で迎えてくれます。
天皇の名代として伊勢神宮に奉仕した初代斎宮、大伯皇女そして弟君、大津皇子にまつわる二上山。
これはもう憧憬としか言えないですね。
その大伯皇女を訪ねて波瀬の地を通ったかもしれない私の好きな十市皇女。
「天上の虹」の世界を思い出しています。
わが背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露に我が立ち濡れし
古代史というのは謎が多いだけに、妄想の余地が多く生まれます。たとえば、大伯の母の太田皇女が長命であったら、草壁に代わって大津が皇太子となり天武の後を継いだら。後にどんな歴史になっていたでしょう。
万葉集の
うつそみの 人にあるわれや 明日よりは
二上山を弟背とわが見む
この歌のオマージュですね。この 怪しげな山を こんなに
身近に歌ってしまう、ほだかさんの”守備範囲”の広さと
深さに敬服です。
年越しは、毎年のごとく、堺。
堺の東方は 遮るものが無いので、朝から晩まで
二上山が望めます、と言うか じんわり迫って来ます。
大和路線で奈良に向かう時は、二上山と大和川を超えると
佇まいが一変します。
不思議な山です。
仰る通り、存在感のある山と言えます。
初めて当地を訪れたとき、住宅地の真南に対面するかのように、二上山とそれに続く葛城金剛の山々が並び立っているのに見とれていました。当時はそれらがどういう山であるか分からず、営業マンに訪ねても「さあ?」と頼りない返事。
地図で調べて初めてそれがあの二上山と知っての感激。竹内峠からなら簡単に登れそうですが、いまだに果たしていません。