命を宿す

春の日を透かしあらはる隠れ沼

普通なら気づかない小さな沼が、その存在を訴えている。

いままで全く気づかなかったのに、枯れ草のすきまから眩しい光りを返しているのだ。
やがて草が茂ると再び見えなくなってしまうと思われ、束の間の景色に違いない。
見たところ、小鳥の水浴びも出来そうなくらい水量もありそうだし、生きものだって棲息しているに違いない。
思いもよらないところで小さな命が育っているのだ。

“命を宿す” への2件の返信

  1. たとえ小さな水辺でさえも水面の光にキラキラと輝きがありますね。

    今日は水辺とは程遠い名古屋駅に行き迷路のような地下街に迷ってしまい目的地にたどりつけませんん。
    途中二度も問い合わる始末です。
    すっかり田舎者になってしまったことを自覚して少々自信喪失。
    以前ならスイスイできたことが今では倍以上の時間がかかってしまいます。
    新幹線を利用する以外滅多に用のない名古屋駅ですがもう少し新しい周辺事情を知る必要があることを痛感した次第です。

    1. とくに地下街とか、地下から地上に出たときというのは方向感覚が狂いますね。
      先日久しぶりに都会に出たら東西南北さっぱりで遅刻してしまいました。

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