窮屈

襟爪をはずして帰る入学子

小1と中1。

6年の差は歴然である。
たまたま今日は地元小中学の入学式で、それぞれ式を終えて行き交ふようにして同時刻に帰ってくる。
小一は両親あるいは父母どちらかが同伴なのは当然だが、ガラガラのランドセルが乾いた音で過ぎてゆくのがかわいらしい。教科書はいつ配られるのだろうか。いっぽう、あるお父さんなどは最近流行りのリュック型バッグを背負っていて、入学式に何で?を通り越して微笑ましいシーンである。
中学のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちは友だち同士連れ合って帰ってきたが、くっきり校章を染め抜いた真新しい背負い鞄、セーラーの白いスカーフが初々しい。手がすっぽり隠れるほど長いシャツの袖が制服からはみ出しているなどは愛嬌である。
それにしても、あの詰め襟の制服というのはなんと息の長いものであることか。首はおろか脇までも自由がきかなくて、いまだに中学生というのが窮屈なものであることを再認識させられた。
何万円もするブランド制服というのもいかがなものかと思うが、昭和がもうずいぶん遠くになったことだしもっとイージーな制服あるいは服装というものがあっていい。

“窮屈” への2件の返信

  1. 今でも詰襟の制服には白いプラスチックの襟がついているのでしょうか?
    あんな首輪のようなものを毎日つけていたら勉強など上の空じゃないでしょうかね。
    私なら到底我慢できない、振り返れば自由な時代であった気がする。
    細かいルールなどなくお金をかけないように家にあるものや仕立て直しでも構わなく生徒全員が同じものではなかったし揃っていなかった。
    貧乏な時代であったからそれなりに自由さがあった。
    今は新入学に大層お金がかかると言う。ランドセルなど最たるものらしい。

  2. 多様性と言いながら、大人が管理しやすくするための校則や制服で一色に染め上げる。世の中の見守りが必要と言うならば、せいぜい誰でも目に付く帽子だけでいいのではないか。

    6年間あるいは3年間ひとつの制服で過ごさせるというのはどだい無理な話だし、教育費負担軽減を言うなら、まず画一の制服から見直したらどうかと。

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