陰の子規忌

立待の宵を隣家の早仕舞

三連休のはずだが隣家が静かである。

昨日、今日と遊び疲れて早寝なのかもしれない。
明治35年9月19日、旧暦でいうとその日は8月17日で子規の命日であった。床に伏したまま月の出を待つことなく子規が逝った日である。つまり、子規忌とは9月19日を指すが、今年の9月15日は陰の子規忌であると言ってもいいかもしれない。
合掌。

“陰の子規忌” への2件の返信

  1. 旧暦とは気象的にも体感的にもずれがありますね。
    「病牀六尺」の世界で子規は何を見何を感じたのでしょう。
    松山には二度ほど訪れていますが子規記念館には行っていません。
    松山城に行く途中、子規記念館の案内があったにももかかわらずです。
    今なら真っ先に優先したことでしょう。

    1. 俳句をしばらくやってると、季語も親しんで旧暦がむしろ自然のように感じることがあります。
      たとえば七夕。初秋の季語ですが、新暦で言うと梅雨のど真ん中でとても星空なぞ眺める気がしません。秋の空が澄んできて星がきれいに見えるからこその季語じゃないでしょうか。
      旧暦は太陽暦に比べ季節先取り感があってわるくないなと思うようになりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください