多武峰新緑

宮跡もそれと聞かずば春の風

こんな狭い里に最初の中央政権王朝の宮があったとは。



伝飛鳥板葺宮跡の遺構に立って北に向かってゆるやかな下り斜面を眺めると、西に甘樫の丘、北に飛鳥寺がすぐ近くに迫っている。天武の時代、外国からの要人接待も含めたまつりごとを行うにはぞ手狭だったろう。

存命中には遷都が叶わなかったが、持統が遺志をついで藤原京を完成させた。こちらは、大和三山に囲まれた広大なエリアだが、飛鳥の宮を懐かしんで詠んだ歌。

采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたずらに吹く・・・・・万葉集 巻1‐51 志貴皇子

“多武峰新緑” への2件の返信

  1. 連休に入り絶好の天気が続いています。今日は久しぶりのゴルフ、ゴルフ場の係員曰く、「一年に一日の最高の天気ですよ」だって。気持ちよかったです。

    さて、そちらは万葉散歩ですか。青空に春風、最高ですね。それこそ奈良に居を構えた甲斐があったというものでしょう。早速「万葉の旅」取り出して飛鳥古都の部分読みました。当時都がころころ変わってるけど様々な思惑があったことが伺われます。その辺、まだ全体がつかめてないのでピンと来てませんが。ぼつぼつと勉強したいと思っています。。

    1. そちらはようやく晴れたようですね。
      当地は2日続きで30度超えです。上着なし、Tシャツ1枚がぴったり。

      板葺宮は乙巳の変の舞台。大化の改新につながっていきます。
      よくもこんな狭い里に宮があったのだなと意外に感じました。
      天武は次々に拡張工事をすすめますが、さすがに限界を感じていたようで新しい宮、すなわち藤原京遷都計画を練っていたようです。実現は妻・持統の時代ですが。
      現地に立つことの重要性を再認識する次第です。

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