糊口

乾涸らびて枝より細し鵙の贄

冬の季語かとばかり思っていたら、「鵙」の傍題で秋である。

冬には葉が落ちて発見しやすいところからそういう思い違いをしていたのであろう。
ともあれ、小さなばったが叫喚の大口を開けて枝に乾涸らびていたのである。
鵙とてこんな小さな虫をあちこちに刺したとて、冬のあいだの糊口しのぐには頼りないことであると思うが。

“糊口” への4件の返信

  1. 「乾涸びる」ってこんな字を書くのですね。
    いかにもひからびた感じのする字です。

    「季語」難しいです。思い込みが失敗を招きます。
    季語だとばかり思っていたらそうじゃなくて歳時記にも見当たらない。
    かくして季語なしの句になりしまったと思うことしばしば。
    歳時記で確認することが大事ですね。

    1. 共通地盤としての季語あっての俳句ですから、慎重に選択しているようでも、ときに勘違いということもあって失敗しています。
      歳時記を辞書のように「引く」ものではなく、「読む」ものだと先達に教わりました。

  2. そうか、引くものではなく読むね。
    私は巻末の総索引を引いていましたが反省です。
    いつも手元に置いて読む習慣をつけ味わいたいですね。

    1. 歳時記によっては、やれ人事だの、天文だの何だのと分類されて記載されているのもあるようですが、やはり一番読みやすいのは季節そして月別に並べられたものです。
      四季はそれぞれ3ヶ月ずつありますので、必ずしも該当月だけに限定されない季語も多いのですが、その月に多く見られるという意味でも該当月を読んでいけば、今ごろの季語には何があるのかを知ることができます。
      「読む」ための歳時記ですから、項目が多く載せられているのは相応しくありません。
      私は有季定型、花鳥諷詠派ですから「ホトトギス新歳時記」(角川出版)一冊しか持っていませんがそれで十分です。
      「読む」とは季語の本意を学ぶことに尽きます。用例はそれを補足するための一助と考えています。

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