陽と陰

雨雫のせた牡丹の重げなり

相変わらず天気がぱっとしません。

牡丹で有名な長谷寺へ、朝の早めに行ったのが大正解でした。
参道がせまく混雑するので交通規制が敷かれるのですが、その直前に滑り込みセーフで無事門前近くの駐車場に止めることができました。

登廊の両端は見事な牡丹園です。

また399の石段を登って本堂にあがりました。礼拝堂回廊から五重塔が見えます。

新緑が雨の中でしっとりしています。

この時期牡丹だけが有名ですが、これも忘れてはいけません。石楠花が斜面の木陰でひっそり咲いていました。近くに室生寺があるので遠慮して宣伝しないのでしょうが、なかなかどうして控えめながら山の一部となっています。
牡丹を陽とすれば、さしずめこの石楠花は陰といっていいでしょう。
表紙はその石楠花です。

“陽と陰” への7件の返信

  1. 素晴らしい写真です。
    雨雫の写真の牡丹、良く撮れていますね。
    ピンクの花の色、葉っぱの緑、共にしっとり雫をのせて素敵です。
    雨で良かったじゃありませんか?

    テレビで誰かのお父様が娘にはピンクの牡丹のようなウエディングドレスを着せたいと言っていましたが納得です。

    左右の新緑の合間から顔を覗かせている五重塔も、ちょっと雨に煙った感じがいいですね。

    表紙の石楠花にもいち早く気付きました。
    我が家の石楠花と同じ色です、でもまだ咲いてくれません。
    ようやく垣根の白い木香バラが咲き始めました。
    殺風景だった庭が少しずつ賑やかになってきてこれからが楽しみです。

    1. さすが「牡丹の長谷寺」でした。観光客も多かったのですが、応援のお坊さんが多かったのにも驚き。あちこちで法話が聞けましたし、要所要所で案内のお坊さんが立っていたり。関東からの応援が最も多いというお話しでした。秋の紅葉時にも大派遣があるそうです。
      長谷寺が真言宗豊山派の総本山で、東の総本山が護国寺だそうです。だから関東からの応援が多いんですね。

  2. 「長谷の牡丹」とインプットされ、即座に出て来ますヨ。懐しい!
    見事な咲きっぷりですね?
    接写で取られた牡丹は、ガラス細工そのもの!見惚れました。
    「立てば芍薬、座れば牡丹・・・」とは、流石に言い得て妙です。

    石楠花は、この季節の花だったのですね?「♪夏が来れば思い出す~」の歌詞で、すっかり夏の花と思い込んでいました。

    新緑も美しい季節になって、もう直ぐ初夏の装いでしょうね?   nao

    1. 所によって違いますが、水芭蕉も春から初夏にかけて咲きますので石楠花と重なりますね。
      糠雨にけぶる牡丹、なかなか情緒があっていいものですよ。境内には芍薬も咲いてました。百合はどうだったかなあ。

  3. パソコンからの送信がうまく行かず一日遅れのコメントです。

    表紙の石楠花、素晴らしい。写真腕上げましたね。カメラそのもの、デジタル処理技術色々あるんでしょうが、やはり一番は伝える心だと思います。ずっと毎日綴ってもらってはからその辺よく分かるのです。

    牡丹の長谷寺、さすがですね。長谷観音のご利益はすごかったんでしょうね。源氏物語では寺は長谷寺と石山寺、神社は住吉大社ですからね。

    さて、例の芭蕉のラジオ番組聴いていたらあの「玉鬘」の二本の杉が出てきてびっくりしました。京都の俳人との連句、古典からの引用をふんだんに使うのですが、二句目に百人一首38番目右近の「忘らるる身をば思はず誓ひてし」が引かれ、三句目に右近繋がりであの「二本の杉の立所を尋ねずは古川のへに君をみましや」が引かれているんですね。芭蕉たちの古典の知識はすごかったんですね。北村季吟の弟子だったのだから源氏物語なんて隅から隅まで分かってたんでしょうね。

    1. ご紹介の芭蕉、昨晩途中から尻切れトンボ。
      この時間疲れが出るのか、確か字余りまでは記憶にあるのですがその先が?

      100分DE名著の「源氏」終わってしまい寂しい限り。
      ダイジェスト版として気楽に楽しめました。林望さんの本予約です。
      性格のフローチャート面白かった!!
      私は「明石の君」と診断され、まじめで芯のあるガマン妻ですって。
      大外れです。

      平家は欠かさず聴いています。
      先週の加賀美アナ「祇王」の朗読に涙しました。
      原文の個所を探すのに四苦八苦です。

    2. 写真をお褒めいただいてこそばゆいような。当日は装備をこらしたカメラマン諸氏でいっぱいでしたよ。三脚が禁止されてるのも一般客に迷惑かからないようにとの配慮でした。

      掛などの言葉遊びから脱却し、自らの境地に達するために相当量の勉強を積んだのでしょうね。最初は立身欲もあったでしょうが、そこから解脱してあの「かわづ」の域に達したといえるかも。

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