覚悟の瞬間

認知症わずか兆しの土用かな

親が厳しい食餌制限のもとで痛みと闘う最期を過ごすことになった。

もう自分の食事さえ満足に作れなくなった親を在宅で看取るため介護申請して、今日が本人調査日だった。
調査員の方にいろいろ質問を受けるのを傍で聞いていたが、悲しいかな、もう昔の母ではない。10分ほど前に確認した内容はおろか、確認した事柄すら忘れているのを目の辺りにして、家人とも深く頷き合うのだった。

これからの闘いは容易なものではないことを覚った瞬間である。

“覚悟の瞬間” への6件の返信

  1. 全くもって身につまされる話です。
    身の置き所無き痛みと闘う辛さは本人も傍のものも譬えようもありません。

    私も先週、介護保険レベル見直しに調査員と共に両親に立ち会いました。
    今の介護のレベルを下げたくない為「何もできないと演技してね」と前もって言い聞かせましたもののその必要性さえ無かったようです。
    心の葛藤と闘う日々でしたが今は少しでも穏やかな最期をと願っております。

    遠方から親元へ通うのも同居も大変ですが完璧を目指さず60%で良しとしましょう。
    共倒れにならないよう後は行政の力を借りましょう。

    1. 今日ケアマネジャーさんのところに在宅看護の相談に行ってきました。
      ターミナルケアといって最期の看取りを支援してくれる制度もあり、高齢者医療制度も随分手厚くなってるんだなというのが実感です。
      大変ありがたいことです。

  2. 何が一番辛かったかというと、母親がだんだん子供にかえっていくことでした。忘れる、理解できない、本人もそれは自覚できるらしくて、あらゆることを私に依存するようになりました。昨日できたことが、今日はできない、骨折して手術入院のあとは、わかるのは私だけで他の誰のことも判別できなくなりました。そして、「どうしてお父さんやお母さんが来てくれないのか」と30年ほど前になくなった私の祖父母のことばかり言っておりました。心は子供時代に飛んでいて、本人は楽しかったのだと思います。穏やかな気分だったことが私の救いでした。参考にはならないかもしれませんが、書いてみました。

    1. ちょっとしたことでいろいろ感情の起伏も激しくなってきているようです。
      手段として筆談しかないのでコミュニケーションのもどかしさに余計に苛立たしさが加わりますが、こちらまで冷静さを失ってはだめですね。
      いずれ吾が身の問題、巡り合わせの問題だと思うようにします。

  3. ほだかさんもskyblueさんも本当によくやっておられると感心しています。
    暑い中どうぞお気をつけてお過ごし下さい。

    1. 今日午前中の書斎は気づいたら35度でした。
      ひぇ~という感じですが、集中しているときは気にならないものです。
      ただ、その後はもう机の前に坐る気力は失せていました。

      夕方ちょっと涼しくなってから畑の西瓜を収穫してきましたら、いい気晴らしになりました。

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