日短や母が手跡のメモ読みゐりぬ
明日に満中陰の法要を控え仏壇を整理していたら、亡母の在りし日を思い浮かべることができるものがいろいろ出てきて全然片付かなかった。
子供たちに当てた歳暮の送り状控えの品物などを見ては「毎年律儀に送ってくれたなあ」とか、文字などを見ては「ああ、こういう字だった」、その日付を見ては「ああ、あの頃はまだまだ元気だったなあ」とかいろいろなものが去来して堪らないものが胸を満たす。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
日短や母が手跡のメモ読みゐりぬ
明日に満中陰の法要を控え仏壇を整理していたら、亡母の在りし日を思い浮かべることができるものがいろいろ出てきて全然片付かなかった。
子供たちに当てた歳暮の送り状控えの品物などを見ては「毎年律儀に送ってくれたなあ」とか、文字などを見ては「ああ、こういう字だった」、その日付を見ては「ああ、あの頃はまだまだ元気だったなあ」とかいろいろなものが去来して堪らないものが胸を満たす。
私の幼い頃と子供たちの顔を見比べようと、実家から持ってきた写真が2枚あります。
その内の1枚はおばあちゃんと写ったものでした。
87年と表記があるので25年程前のものです。
私がおばあちゃんに肩車をしてもらっていて、おばあちゃんは苦しそうにしています((+_+))
切り抜いて子供たちの写真と並べて貼る予定でしたが、ハサミを入れる気にはなれません。
1枚の写真のまま大切に保存したいと思います。
残ったメモのなかにあゆみちゃんが敬老の日におばあちゃんに送った手紙が出てきたよ。字がやっと書けるようになったばかりの可愛い手紙です。
「おばあちゃん」 なんてあったかくて優しい響きの言葉でしょう。
私は父母の母親が二人とも若くして亡くなり生まれたころはおじいちゃんしかいませんでした。
おばあちゃんとの思い出があるのは幸せですね。
今日は四十九日の法要ですか、お母様を偲んで思い出に浸ってください。
両親とも健在で別れの実感が解りませんが自分の母親がこの世からいなくなる日が来るなんて信じられません。
想像しただけでもせつなく胸がつぶれます。
たしかにおばあちゃんと親しく呼べる人、その思い出がいっぱいあるって幸せなことですね。skyblueさんと同じく私も父方の祖父母はすでにこの世の人ではなかったし、残った母方のおばあさんも母とはなさぬ仲だったせいかどうか、かわいがってもらったという記憶には薄いものがあります。
今日おかあさんに1年生の時の手紙を渡しておきました。おばあちゃんは仏壇のなかに大事にしまってありましたよ。よほど嬉しかったのでしょうね。
あまり急がず故人を思い浮かべながら整理してください。時間はたっぷりあります。
整理しながら、故人を偲ぶのも供養ではないですか。
小生は施設に入所している母が転倒して股関節を骨折したものですから、21日~23日の2泊3日をかけて広島に帰省し、日赤病院での入院手続きや手術の立ち会い等、大変でした。昨日22日に約3時間半の手術を無事終えることができホッとしているところです。今後のリハビリが大変そうで、一人で何とか歩けるようになって欲しいと願っているのですがね。
本人にとっては初めての手術でしたので、心細さは理解できますので、手術の内容を丁寧に説明したり、励ましたり、心配いらないからとまるで子どもを相手にしているような感じでしたね。
お母さんは大変ご心配ですね。ぜひリハビリで頑張ってもらって再びご自分の足で歩けるようになるのを祈ってます。
満中陰ですか。あっという間ですね。
メモの整理はゆっくりがいいですよ。私もいろいろ母のものを片付けながら、でてくるメモで思い出にしばし浸っております。その時間は完全に母のことだけを考えているので、良い供養になります。
今日23日は恒例の東京同窓会でした。初めての参加者もいておおいに盛り上がりました。和気藹々で楽しくすごせた一日でした。
思い出にふけるのも供養。そうですね。18歳から家を出て遠くにいましたから、母の普段の生活のことは何一つ分かってないのです。ですが、ほんの小さなメモやら領収書などからその一部がほっと浮かんで見えるような気がするんです。しばらくはそういう時間をしみじみと味わおうと思います。
母から手紙を受け取りました。
長い年月とっておいてくれたことを嬉しく思います。
母に託して頂きありがとうございます。