黒い山

大路より見上ぐる毎の末黒かな

恒例の若草山焼きが1月26日にあったので、今頃の山容は遠目にも真っ黒であることが分かる。

この状態を末黒(すぐろ)というのだが、吟行地から句会会場に向かう途中登大路を歩いていて見えた光景を詠んだものだ。県庁のビルの間から見えた姿からは、焼けた部分と残された部分がはっきり分かるように見え大層迫力があった。

実は山焼きの翌日当地では積雪があって、自宅にいながらきっと若草山では白と黒のコントラストが素晴らしいだろうなあと想像だけで終わってしまったので市内から来た方にそのことをうかがうと、それは大層素晴らしいものだったと聞いて今度チャンスがあったら来ようと思ったのだった。

“黒い山” への8件の返信

  1. 秋に奈良へ行った折、浮御堂の方向から眺めた若草山は枯れ草色をしていました。
    なだらかな優しい山並みで山と言うより丘と言った方がぴったり。

    今は末黒、そして雪が降ればモノトーン。
    春になれば名前の如くそれこそ若草色に変身するわけですね。
    駆け足で登れそうに思いましたが・・・

    1. 裾の方は燃やさなかったので燃えた部分とのコントラストが鮮やかです。春になると名前の通り緑が萌えて一変します。
      今はお山に入るには有料。昔は自由に斜面を登れたような記憶があるんですが。

  2. よく言葉を知ってますね。感心します。「末黒」って言うんですね。昔からある言葉のようで広辞苑にもバッチリ載っていますね。知りませんでした。

    春日野の若草を萌えさせるために老草を燃やすということですね。理に適った行事で日本人の知恵深さを思わせてくれます。身近に感じられるのは羨ましい限りです。

    1. 毎日詠まなければならないとなると、しょっちゅう歳時記のおせわになります。また、最近散歩の時持ち歩くようにしている雑誌付録の俳句手帳にも簡単な季語が載っていたりするので、それらを繰りながらしていますと自然に未知の言葉も勉強するようになります。「末黒」というのはまさに山焼きの後の若草山をイメージするにはぴったりです。状態ではなく野の場合なら「末黒野」、山を言う場合は「焼け山」になりますが、状態だけなら3文字で表せるのがいいですね。

  3.   「末黒」ですか。日本語は本当に豊かですねー。 知らない言葉を知る楽しみが俳句にはありますね。 言葉って昔から、いろいろ考えて作って増えていったのかな? 今の若者たちの造語もそのうち残る言葉になるのでしょうか?
     「若草山」は言葉からのイメージも春がくる感じがしていいですね。

    1. 「末」ですから枯れ草の先を言うんでしょうねえ。その先が燃えてまるで全体が真っ黒に見える。そんな情景でしょうか、「末黒」というのは。
      日本語というのは大陸や半島から漢字が伝わる前から固有の言葉があって、漢字があったから新たに作られた言葉というのは意外に少ないと聞いてます。
      けれども長い年月のあいだには徐々に変化するのも事実で、外来語が戦後一挙に増えているのも諸外国との関わりという面で言葉が大きく影響を受けていることが分かります。
      日本人の自然や季節に関する感性というものは、大事にしたいですね。ですから有季定型を重んじる伝統俳句系が大きな流れになっているのだと思います。無季とか自由律というのは有季定型を踏まえたうえでの話だと思うので、私は当面は「現代俳句」系でなく「伝統俳句」系の基礎を学ぼうと思っています。

  4. 若草山の山焼きのあとの黒くなった状態を”末黒”というんですか。初めて知りました。
    それにしても、俳句をやっていると日本語のボキャブラリーが随分と広がりますね。
    古くから歌の世界で使われていた言葉だけど、現代では日常的に使われる表現ではないため、目にする機会がないのかな。
    ”すぐろ”とう言葉の響きも、なんとなく奥ゆかしくて、いかにも古語といった感じですね。

    1. 現在目や耳にする日本語というのは、言ってみれば長い年月をかけて沁みだしてきた水のようなもので、舌に乗せても良い響きをしていると思います。俳句に親しんでみてこのような美しい言葉の存在を知るのは新しい発見です。

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