国ン中を鎮め大和の花筏
日曜日の嵐で大方の桜は散ってしまった。
翌日、花筏を見ようと大和川に出たのだが、あまりに激しい風雨にすべてが既に下流に流されてしまったのかどうか、わずかの痕跡しか見ることができなくてがっかりした。それに引き替え、昨年はそれこそ声に出して興奮するほど、幅80~90メートルの川面全面が花びらに埋まったまま大いに流れていくのを目撃できたのだが。
考えてみれば、国中(くんなか)と呼ばれる大和盆地を走る支流すべてはこの大和川に合流し、国中いっさいのものがこの川から県外大阪へ、そして大阪湾へと流れていくのである。大和川の花筏というのは、国中じゅうの花という花を集めた大和そのものの「花筏」なのだ。そしてこれを限りに大和の里は静けさを取り戻していく。
当地にも川面一面を敷き詰めた花筏が見られますが100m近い川幅というのは壮観というか圧巻というかどのような表現がぴったりくるかしら?
花びらは湾までどんな旅をしていくのでしょうね。
大和の里は静けさが戻りつつありますか。
わが故郷の山はやっと眠りから目覚めまだぼんやりとした色彩で山桜が所々をピンク色に染めていました。
合流後の大和川の花筏というのは、国中の花筏を全部集めた「大和の花筏」としか言いようがないです。この句はいつになくお気に入りです。
今朝NHKニュースで吉野の上千本を上空から映してましたね。今年はもう盛りは過ぎているようです。いつもの年よりは早く桜の季節が終わりそうです。
これでまた日常に戻るというか、田仕事、畑仕事、野良が忙しくなる季節です。
見ました、見ました。
山全体がピンク一色でしたね。
今回の句の「国ン中」という言葉も初耳です。
大和の国中の花を集めた、これも大和ならではでしょうね。
情景が浮かぶ素晴らしい句だと思います。
国中に対して大和高原地域は「東山中」(ひがしさんちゅう)と呼ばれています。柳生、山添、宇陀一帯です。
同じ奈良県でも文化、歴史などが違うのでそのような区分があるんでしょうね。
「国ン中」と表記したのは「国中」とすれば「くにじゅう」と読まれかねなかったので。通常「国中」と書くようです。
しばらく机に座る時間がなくご無沙汰失礼しました。やっと日常に戻りました。
国ン中の句、姿・容貌も見事だと思います。
大和川のことよく分かりました。吉野の桜はともかく大和盆地の桜は皆大和川の流域にあるということなんですね。スゴイ、この川古来随分と色んなことを見てきたのでしょうね。
ようやく身辺が「鎮まり」ましたか。入学やら、新年度やら、花の季節はなにかと気ぜわしいこと多いものです。
最後に合流するのは大和の西部の端っこにあたり、昔は湿地帯だったので集落はあんまりありませんので、大和の川を語る場合通常支流の名で語ります。たとえば、佐保川、富雄川、飛鳥川、竜田川というふうに。詠みこまれた歌も少ないと思います。ただ、山側というか丘陵側では龍田や竜田川に古歌が多いですけどね。
ただし、歴史的には、難波との物資の行き来は明治に鉄道ができるまではこの大和川が幹線でした。先月訪問した「民俗博物館」で実際に使われた木舟を見ましたが、大陸や半島からの人や文物も難波津から大和川を遡り、歌垣で知られる桜井市の金谷あたりの初瀬川が上陸地点。盆地に堆積物がたまって川の姿も随分変わったわけですが、邪馬台国が大和にあったとすると卑弥呼の朝貢一行もこの川を上下したかもしれません。
成程、大和川のことバッチリ分かりました。ありがとうございます。
“花筏”とは実に風情のある表現だね。
なかなか見られないよね。写真にとって見せてほしかったけど、残念ですね。
TV等でよく皇居のお堀端に桜の花びらが水面一杯に浮かび、ボートで舟遊びをしている様子が映し出されることがありますが、80~90mの川幅の川面一面が花びらに覆われ、川が流れて行く様子はある意味では壮観ですよね。
めったにみられない光景であり、貴重だと思うな。偶然が重ならないと見られないものね。
来年を期待しています。
本当に広すぎてね、写真にはうまく写し取れないくらいです。ただ、ただ、川一面に花びらが浮かんで、川の真ん中だけが早く流れるというのではなく、岸から向こう岸までが一緒になって流れていくのです。壮大ですよ。我が町の西外れが狭隘な谷になっていて大阪府との境であり、古来から交通の難所であるのですが、今度はその「亀ノ瀬」となっている辺りの急流なら写真にとっても絵になるかもしれません。