千木高き元伊勢たたく時雨かな
元伊勢の破風板たたく時雨かな
元伊勢のみるまに烟る宇陀時雨
野舞台を吹きぬけてゆく時雨かな
朝目を覚ますと日の出前の東南の空がみるみる赤く輝いてきてそれは美しい。
これが「かぎろひ」というのかもしれないと思うと、むしょうに宇陀の「かぎろひの丘」に出かけたくなった。
ただ、きれいな朝焼けでてっきり今日はいい天気になるかと思ったがそうではないらしい。家を出た昼過ぎには吉野大峯の遠嶺がみるみる時雨でかすみ、宇陀の空もなんだか暗い。
おまけに気温はもう真冬かと思われるように寒いし、別の日でもいいかと思うのだが朝から行くと決めていたので敢行だ。
柿本人麻呂のかぎろひの歌が詠まれたのが旧暦11月19日だというので、その日に当たる今月19日には「第四二回かぎろひを観る会」があるのだが、なにせ日の出前のかぎろひを観るというので当然未明のイベントなのだ。国ン中よりさらに底冷えのする宇陀とあっては寒さも半端ではないだろうと思うと最初から腰がひけてしまう。そこでせめて場所だけでもこの目で確かめるべく、家人を誘って出かけたのであるが。
案の定、宇陀にふみこんだとたん道路には雨が降った跡がありいやな予感がする。駐車場に着いた頃には北の方角を時雨が通過している模様。「かぎろひの丘」は無事にすんだが、すぐ近くにある元伊勢のひとつ「阿紀神社」に着いてしばらくしたらとうとうぱらぱらと霙模様の雨が降ってきて、銅葺き神明造りの社殿をさらに黒く濡らすのだった。
この阿紀神社には立派な能舞台があるが、これは一時この地を治めた織田の末裔が設えたもので能楽の奉納が大正まで続いていたというが、最近また「あきの蛍能」として装いもあらたに再開されているという。そばを流れる川に蛍を飼っていて能楽の途中で灯りを消して楽しむというが、さぞ幻想的な光景にちがいない。
昔から夕焼けは明日の晴れを約束し朝焼けは雨の兆しとか年寄りから聞いた覚えがあります。
まさしく今日のお天気はそれでしたね。
当地も一時的に昼過ぎから時雨れだし窓を斜めに打っていました。
「かぎろひの丘」ロマンのある名前ですね。
人麻呂の東のかぎろひと月のかたぶきが同時に見られると尚更ロマンチックですね。
朝はほんとにいい天気だったんですがね、朝焼けはやっぱり本当でしたね。
陰暦19日ですから朝日が昇る頃にはまだ月は残ってるんでしょう。
それにしてもこんな寒い時期に狩猟に興じるというのも大変だと思いますけどね。
正に万葉集ですね。人麻呂の歌、今の季節なんですか。かげろうで春の菜の花畑を背景にしたものとばかり思ってました。雄大で神々しいものなんですね。それにしても寒そうです。
キヨノリさんのコメントで気づいたのですが蕪村の
菜の花や月は東に日は西に
これは人麻呂とは逆で菜の花の時期、太陽が落ちるころすでに東に月が顔を出したと言うことになるのでしょうか?
15日前より前の月なら蕪村の世界が実現しますね。なんともスケールの大きい、春の一刻を詠んだ句です。
人麻呂のはキヨノリさんが言うように、寒い時期黎明の神々しい景を大きく詠みました。
両方とも光景が頭にありありと浮かぶような描写ですね。
どうも今の「かげろう」ではなく、枕草子「やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」で言うような、日が昇る前の空の色の移ろいを言うようです。快晴でないと観られませんので、この日に遭遇することはまれらしいです。やはり、高気圧が真上にくるような朝、大変冷え込みますが、ならチャンスがあると言えます。
ただし、残る月があるときでないと人麻呂の歌のようには「月かたぶきぬ」とはいかないのが難しいところです。おそらくこの歌はおかかえの宮廷歌人として、帝・皇室(この歌の場合は軽皇子と持統、あるいは父親の故・草壁)をたたえるための脚色ありありの歌だったんではないかなと想像しています。
持統から文武へのバトンタッチを予感して言祝いでいるのではないかと。