老鶯の指呼の間とても舞ひ出らず
指呼の間の老鶯つひにまみゑえず
隠国の谷は深い。
先ほどから、長谷寺に対座するかたちになる寺領・与喜山から、鶯の声が引きも切らず谺するように聞こえてくる。近寄ってみようと、本山と与喜山の間を流れる初瀬川を渡って、見上げるような山の威容を前にすると、鶯の声はさらに大きく響く。すぐそこにいるはずなので、じっと目をこらすがなかなか姿は捉えられない。
鶯を諦めて、本居宣長が訪れたときあったという「玉鬘庵」跡が近いので行ってみると、そこは竹林になり果てて、ときどきの風にのって竹の葉が流れていくだけである。
玉鬘庵跡すさび竹の秋
鶯って声はすれどもなかなか姿を見ることはできないですね。
やはり鶯色のきれいな鳥なのかしら?
谷合にこだまして帰ってくる鳴き声は二重のうれしさですが一体何処に潜んでいるのでしょう。
低いところを渡るのでまさに藪の中。ガサガサと葉の揺れる気配だけ感じられたりはするんですが、本体を拝めるのはめったにないですね。何しろ一所にとどまらない習性のようですし。見えたとしてもほんの一瞬です。意外に地味な色なのでよけい見つけにくいです。
へえ~っ、玉鬘庵なんてのがあったのですね。それは面白い。本居宣長が訪れたというのですから江戸の源氏物語フアンが建てたのでしょうか。それならいっしょに浮舟庵も作って欲しかったです。初瀬長谷寺というと源氏物語の中の品の二枚看板玉鬘&浮舟ゆかりの場所であります。
(右近) 二本の杉のたちどを尋ねずは古川野辺に君を見ましや
(浮舟) はかなくて世にふる川のうき瀬にはたづねもゆかじ二本の杉
今まさに竹の秋ですね。風が吹くと竹の葉、それと古くなった常緑樹の葉っぱが舞い落ちていますね。
多分宣長の「菅笠日記」に書かれていたんでしょうが、数奇なファンもいるものですね。今は、細い坂道にNPOが立てた看板「玉鬘庵跡」でその場所を知るのみです。
10メートル四方の場所ですが、竹が覆うばかりでした。
二本の杉も定家塚・俊成碑も牡丹の時期は訪れる人もまれ。そんな風情がかえって思いを深くいたすことができるようです。
常緑樹の葉が新しい葉に入れ替わるように落ちるのを「常磐木落葉(ときわぎおちば)」といって初夏の季語にもなっています。是非一句ものにしてください。