大和郡山

小春日や金魚顔出すお池かな

西の京へのポタリングの続き。
斑鳩を抜けると金魚養殖で全国シェア40%を占める大和郡山市域に入る。富雄川沿いの自転車道を走っていると緑がかった養殖池がちらほらと目に入るようになる。
この日は暖かい陽気に誘われるように真っ赤な金魚の稚魚たち(補:金魚の苗という)が水面に浮かんでいたが、池の色との取り合わせがまさに補色関係にあるので強く目に焼きついた。

郡山は戦国時代に筒井順慶が築城し、その後豊臣秀長が入城した畿内でも重要な位置にあるが、金魚養殖は享保年間に柳澤吉里が甲斐より移封された際持ちこんだのが始まりと言われ、武士階級の内職にもなっていたらしい。
ただ、譜代城下だったせいか市中心街の住宅はなかなか立派な家が多い。今回はスルーした街なので郡山城などいつかまた来てみたい。

“大和郡山” への2件の返信

  1. えらくやさしい俳句ですね。穏やかな気分がよく出てると思います。
    大和郡山ですか、歴史上の人物の名前がボンボン出てくるのですね。さしも重要地域、幾度か戦争と平和が繰り返されたのでしょう。ボクんところの下総なんぞどこへ行っても平将門くらいしか出てこない、、、、平和だったのですかねぇ。。

    1. 坂東武者は古代から恐れられていましたし、彼らの力を借りて天下を取った人も多いのではないでしょうか。それに、佐倉の宗五郎とか気骨のある人も出た土地柄ですよね。細かに歩けば結構歴史の足跡が身近にあるかもしれませんよ。前住所では小机城の出城として古くからもののふが行き交いした歴史があるようでした。「鞍掛の松」とかいって、新田義貞が鎌倉攻めの途中休憩した鎌倉古道の史跡があったり。

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