露けしや歌仙とぶらふ寺の句碑
一叢芒を見ようと天理市石上櫟本町にある在原神社(在原寺跡)を目指した。
現在は神社になっているが、明治初年頃までは在原寺だったという。ここでも明治の愚策、廃仏毀釈があって本堂、庫裡などは市内の別の寺に移築されたという。創建は9世紀、業平の死後その邸(別邸?)跡に建てられたとされる。
ナビにもないので、道行く人に尋ねたりしてようやく天理IC脇にその跡を探し当てた。
折から雷が鳴り出し、大粒の雨も降ってきて長居はできなかったが、ひとあたり見てくるにも十分すぎるほど狭くて、寺の跡というよりは小さな公園といった風情である。
謡曲「井筒」の舞台でもあり、伊勢物語「筒井筒」に因むという説もある井戸や、一叢芒、夫婦竹(業平竹)もそれらしくしつらえられているのが興味深い。
ただ、?と思ったのが芭蕉の句碑で、
鶯を魂にねむるか矯柳
調べてもこの句と在原神社との関わりは分からなかった。
逆に歌碑のひとつもないのが言いようもなく悲しいのであった。
一叢芒、こう言う芒を一叢芒と言うのですか。いい名前ですね。
業平ゆかりの地が愛知県の知立にもありますが故人を偲ぶよすがが残されているのは良いものです。
その点、東京の業平橋駅がとうきょうスカイツリー駅になってしまったのは残念ですね。
せっかくの名が何の風情もない名前に変わるなんて・・・
一叢薄は季語としても一人前の扱いを受けてます。薄野とはまた別の趣がありますね。
本文には書かなかったのですが、本殿は紀州候の手厚い庇護によって建てられたと言われています。知立のも紀州候ゆかりだそうですね。なぜ紀州候なのか不思議な縁だと思います。
最悪の改名ですね。商売とはいえ、業平橋という名にひそかに誇りを持っていた人々も多かったでしょうに。東武の品格が伺えるような気がします。
在原業平、伊勢物語、筒井筒ですか。いいですね。
芭蕉の句は分かりにくいですね。まだ蕉風確立前の連歌感覚のもののようですね。
、、、今朝3日ぶりに散歩したら彼岸花が一斉に咲きだしていました。
芭蕉壮年期のものらしいです。何でも荘子にのめり込んでいたときとか。
最近、俳句と能の関係とかよく出くわすようになって、謡の部分を読むのが面白くなってきました。最近では、「摂待」。これは、義経一行が奥州へ落ちる途中、くしくも佐藤兄弟の実家で摂待を受けることになって、兄弟の活躍や最後の場面を摂待主の老婆、すなわち母親に聞かせる話ですが、このような謡の内容さえ聞き取れれば能というのは大変素晴らしいのにと思うことしきりです。
この「井筒」も原文で読みましたが、伊勢物語23段の話など、非常に興味深くて能舞台もさぞかしと思っております。
DVDなどもあるようですが、まずは読んでみるのがいいようです。何より、時間が十分の一もかかりませんものね。これで能が分かったような気分になってしまうのも愉快なところです。
そう言えば「二本の杉」は謡曲「玉鬘」に謡われているのでしたね。さっそく読んでみなくちゃ。
おっ、素晴らしい。「二本の杉」のところ是非教えてください。。
探してますが「玉鬘」がなかなか見つかりません。
それまで、井筒で我慢してください。
謡曲「玉鬘」 でも能「玉鬘」 でも検索すれば知りたいことがでてきますよ。
源氏物語を題材とするものは10曲あるそうです。
能は筋を先に知っておかないと観てもすぐには理解できないものがほとんどです。
現代語訳版ならいくらでもあるんですが、「読む曲」がないんです。メインのものなら、「井筒」のようにいくつか見つかるんですけどね。源氏ものは10曲ほどあるようですが、どれも「読む曲」は見つけられないでいます。
とりあえず、能入門にと「謡曲を読む (朝日選書)」「花のほかには松ばかり―謡曲を読む愉しみ(山村 修)」をアマゾンに注文しました。