風受けて光るさんまの干物かな
そろそろ熊野の丸干しサンマの季節だ。
テレビで見ているとたいていの人は骨を食べないが、丸干しサンマははらわたも骨もまるかじりするのがいい。
干し具合の出来がいい年にあたると一回で2,3本を食えてしまうくらいうまい。
30代のころ室生寺から吉野を抜けて尾鷲を旅したときのこと。
そのとき目にしたのが塩水につけたやつを天陽と潮風にあてて干してある光景。
銀色をしたやつが風にふかれて一様に揺れていたさまを今でも思い浮かべることができる。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
風受けて光るさんまの干物かな
そろそろ熊野の丸干しサンマの季節だ。
テレビで見ているとたいていの人は骨を食べないが、丸干しサンマははらわたも骨もまるかじりするのがいい。
干し具合の出来がいい年にあたると一回で2,3本を食えてしまうくらいうまい。
30代のころ室生寺から吉野を抜けて尾鷲を旅したときのこと。
そのとき目にしたのが塩水につけたやつを天陽と潮風にあてて干してある光景。
銀色をしたやつが風にふかれて一様に揺れていたさまを今でも思い浮かべることができる。
へぇ~、、サンマの丸干しなんてのもあるんですね、豪快に頬張り日本酒を流し込む。。。
幼少の時にも熊野におられたようで光景が刷り込まれてるんでしょうね。
室生寺から吉野を抜けて尾鷲へってのもすごい道ですね、車ですか?それともバイク?まさか自転車ということじゃないでしょうけど。。行動派ですね、感心です。
労組機関誌編集に携わっているとき赤目・尾鷲2泊の強行取材旅行でした。
もちろんクルマです。30代なので馬力もあったんでしょうね。
室生寺の紅葉は今でも目に焼きついてます。
子供の頃、内陸部の山奥に住んでいたため新鮮な魚介類を食べる機会に恵まれませんでした。
定期的に尾鷲から背負子のようなものを背負ったおばさんがやってきてサンマの干物やイワシの丸干し、乾物などを軒先に広げていたのを記憶しています。
モンペに手ぬぐい姿で日に焼けた「尾鷲のおばさん」はこども心にも強烈な印象でした。
最近、毎日のように紀伊半島の地図を広げる日々です。
子供の頃の食卓はといえばアジの干物、それも丸干しが毎日のようにのぼりました。それから鰹の生節とヒジキの煮物。高校の弁当にもよく入ってたし。母が熊野の山奥出身ということもあったんでしょう。
おかげで魚大好き。骨毎食ってたせいか歯も丈夫です(笑)
熊野の地図といえば古道歩きでしょうか。あの懐の深い山の国に入り込むと、あるのは「自然」と「自分」だけという単純な構図に立たされるような気がします。