葛城の隠れ雲間や冬日差し
風が穏やかだったので葛城山の麓まで遠出した。
二上山を過ぎ当麻寺(日本最古の梵鐘があった。中将姫が剃髪した寺としても有名とのこと)を見た後、竹内街道も過ぎ葛城市屋敷山古墳までの往復。
葛城の山々は曇りがちではっきりとは見えないが、雲間より幾条かの日差しが差し込んでいる。
古歌の丘風も吹かぬに枯葉降る
屋敷山公園として整備されている屋敷山古墳は葛城市最大の前方後円墳で、古墳が造られた時期は古墳時代中期にあたり、葛城氏の首長の墓と言われている。戦国時代には領主布施氏の館が築かれ、続いて江戸時代には大名桑山氏の陣屋が築かれたせいか、地元の人に聞いても城跡だというひともあればいや古墳だと言う人もいたが、形大きさからして元は古墳だったことが容易に推定できる。
公園の濠跡と見られる場所に家持の歌が。
でも、やっぱりこの日はこれを見たかったのだ。
二上山。
当麻寺奥の院先に大津の石川女郎(いしかわ の いらつめ 大名児おおなこ)へ贈った歌の碑があった。歌碑の背には二上山が見えるのだがあいにく曇り日でうまく写らなかった。
今回も自転車ですか?
まさしく、古代 神話の世界にどっぷりですね。
司馬遼太郎が少年期、母上の実家でヤジり拾いに夢中になったとか。
葛城の 神々の 錦の華やぎて 於 竹内街道 司馬遼太郎
母上の実家の仏間に残されているそうです。
二上山は古くから石器材料となる石が採取されていたようです。
家からまっすぐ大和川に降りていったところに工房跡があり、調査が完了したので今春ようやく運動場がオープンしました。
奈良・勢野東遺跡で約2万点の石器出土
「竹内街道」にそんな句がありましたか?
もう一回読んでみます。
ゆったりとした逍遥、いいですね。羨ましいです。
ブログ読ませてもらう度に地図でチェックしているのでこの辺り相当詳しくなりましたよ。
古墳時代はともかく、へぇ~、縄文石器時代、1万5千年前ですか、、、悠久ですね。
それと万葉集歌を引用してもらってるのもすごくいい。
万葉集までは行けてないので刺激をもらって少しづつ近づいてみます。。よろしくね。。
キヨノリさんも地図のチエックですか? 一緒ですね(笑)
私が言うのも変な話ですが、地図の好きな宮村さんもぜひこのページへお越しくださいな。
司馬遼太郎の句は「街道をゆく」本体の方ではなくてHHK 「街道をゆく」プロジェクトが出版した「司馬遼太郎の風景」にあります。
カラー写真もふんだんにあり二上山夕景もそこにあります。
この日は調査もしないで行ったのでが、たまたま歌碑に巡り会えのたがラッキーでした。ググってみるとあちこちにかなりの歌碑がありそうで、もう少し盆地の地理を頭にたたき込んだら歌碑巡りもしてみたいと思います。
この日の行程のうち、途中にある香芝市役所にもいくつかの碑があるようです。これからはできるだけ写真にとって紹介しましょう。
スカイブルーさん、了解です。明後日会うので誘っておきます。。。