寒村に生きる

冬耕や腰の曲がりの年々に
冬耕や腰が曲がればそれなりの
機械化のおよばぬ山に冬耕す
冬耕やこの代にして途絶ゆるも
冬耕や父祖代々に恥ずるなく

過疎化著しい山村の田畑を想像してみた。

山里の機械化するほどのこともない、ほんの猫の額ほどの畑が寄り集まった小さな集落である。
今までは一日もあれば片付いていた冬準備も、歳を重ねるごとに二日も三日もかかるようになった。老妻の腰の曲がりも年々深くなってきているようだ。それでも、これら先祖代々めんめんと受け継げられてきた畑を放棄することなど考えられない。
こんな不便な山村ではどの家の息子も娘も都会に出てしまって、跡を継ぐようなことは彼らの頭には毛頭ないのも当然だと思う。

これら時代の流れとすればしかたがないことだ。今はただ日々の暮らしの安穏であることを祈るだけである。

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