苔庭の落葉掃くより弾きたる
山茶花の散るを意匠に苔の庭
水鳥の広く遊べる庭湖かな
大池の北はよく溶け枯蓮
枯蓮を撮って白雲映りこむ
名勝の名のみとどめて滝涸るる
想像以上に立派なお寺に圧倒された。
さすが門跡寺院の代表とされるだけの気品があり、短時間に見て歩くにはもったいなさすぎる。また、大沢池の広さはどうだ。さまざまな冬鳥も到来して、留鳥ともどもあまたいるのに、ちっとも狭さを感じさせない。あと千羽くらい飛来したとしても特別多いようには感じないのではないだろうか。
そのうえ、名古曾滝跡脇にある歌碑を見てはたちどころに百人一首55番藤原公任の歌と教えてくれる友もいて、なんともゴージャスな旅だ。
名古曾滝跡は何とも昔を偲ぶよすがとは言い難いものでしたね。
光源氏は出家してこの嵯峨院で2~3年過し雲隠れしたということになっているので、このあたりに「光源氏の墓」なんてのもあったら面白かろうにと思いました。
源氏物語が無形世界遺産にでもなれば、各地こぞって名告りをあげたりして改めて注目されるでしょうにね。
名古曾滝跡から滝の風景を偲ぶには大いなる想像力が必要でしたねえ。
ただし行ってみて初めてやはりそうなんだと納得できました。
歌枕とはそういうものなのかもしれません。
もしかして後背の山があったとか、周りの景色も時間の間にずいぶん違ってしまったのかもしれません。想像は勝手ですから、「こうだったんだろう」と楽しむのも自由でいいんじゃないですか。