両の杖突いて参道冴返る
二の鳥居をくぐった途端冷気が体を包む。
やはり鬱蒼とした神域の森の中に入ると自ずから霊気にみちた厳かな空気に包まれる。
鳥居からは緩い上り坂になっていて、近所の氏子らしき参拝客が絶え間なく拝殿にむかっていく。中にはもう足腰も覚束なくて2本の杖の助けがないと参拝もできないという高齢の信者もいて、ほんとにゆっくりゆっくり休み休みのぼっておられる。
こういうお姿を拝見すると、三輪さんが庶民の間に広く慕われていて今でも多くの人に信心されているのがよく分かるのである。お伊勢さん、あるいは同じ県内の春日さん、橿原神宮ではこうはいかないだろう。
やはり自然神の代表選手なのである。
山そのものがご神体、自然信仰のシンボルですね。さぞ地元に密着しているのでしょう。
三輪山伝説、通って来る男は女に素性を明かさない。女は不審に思い男の衣に糸をつけて行方を探る。源氏が夕顔の宿に顔を隠して通うシーン、三輪山伝説を下敷きにしているとの解説を思い出しました。ちょっと考え過ぎかとも思いますが。。
大物主神はいろいろな伝説のある神で、それも相当好色な話。人間味溢れる神で人気も高いですね。
今、卑弥呼の墓ではないかと噂の箸墓古墳も大物主神がらみですが、早く宮内庁が発掘解禁してくれないかと期待しています。
高齢になって杖をつきながらでも、山にお参りできるのは素晴らしいですね。
老人にとって、それが健康の秘訣なのかもしれません。
自然崇拝からきている信仰はとてもわかりやすくて、理屈ではないところがいいですね。
当地にて気づいたのが、神に向かい合う姿勢。例えば、どんな小さな神社でも鳥居などでは会釈します。もちろん退出する時もです。神を敬う、畏敬する精神は他のどの府県より勝っているのではないでしょうか。たとえば、海軍の基地、軍港の町での日の丸への敬礼などに見られるように。
日常の生活に染み込んでいるんでしょうね。