彷徨う

手袋や散歩復路の電車にて

伝説の龍田と思われる関西本線三郷駅周辺を散策。いきなり駅舎の横に能因法師の歌碑があった。
光の具合か肉眼でも読みにくかったが。

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり・・・・・能因法師

同駅から現在の龍田大社に向かって100メートルほどいくと神南備神社があった。


神南備とは神のおはすところという意味で、丘の南端麓に置かれる。
ということは、この杜に続く尾根をたぐっていくと三室山(みむろ、みもろも神南備と同義)に到達することになる。
ここを辿ってさらに留所(とめしょ)山まで登れば難波と大和を結ぶ古道龍田越えらしい。
ここで難波へ向かう人を送ったり、あるいは向かおうという旅人自身の歌が数多く残されている。

同駅から西方向へ50メートルほど、住宅団地入り口に、

我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし・・・・・高橋虫麻呂(万葉集巻9・1748)

犬養孝博士の書だそうだ。

ところで、「神南備」だが万葉集には龍田の神南備だけで10首はあるらしい。
虫麻呂歌碑からさらに西へ50メートルほどいった線路際に磐瀬の杜公園が移されてあり、中に一首。

神南備の岩瀬の杜の呼子鳥痛くな鳴きそ我が恋まさる・・・・・鏡女王(巻8・1419)

なにやら源氏博士のコメントもいただけそうであるが。

このあと、龍田の滝があったと思われる亀の瀬方面へ行こうと思ったが時間切れ。おまけにくたびれたので三郷駅から王寺駅まで一駅電車で戻ることにした。
このあたり一帯はまだまだ探索する必要がありそうで、もう少し暖かくなったら峠越えの道を探そうと思う。

“彷徨う” への3件の返信

  1. そう、この年齢になると手袋は必携、、手袋をして万葉散策、いいですね。

    その辺一帯が万葉集の世界なんですね。
    「呼子鳥」、カッコウのことと言われるが他にウグイス、ホトトギスなどの説があるとありますね。
    「呼子鳥」と言う呼び方の鳥は源氏物語には出てきません。一方ホトトギスは初夏を象徴するものとして橘とペアーでそれこそ随所に出てきます。

     (因みに百人一首では呼子鳥はなくホトトギスもただ一首)
      No81 ほととぎすなきつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる 藤原実定

    もう一つ感じたことは、万葉人と能因法師の時代差、、650年と1050年くらいだからおよそ400年差がある。これはちょうど芭蕉と我々の時代差に匹敵する。歌により昔を偲ぶ(歌枕)とはそんなもので、能因法師は万葉人を偲び、芭蕉は能因法師を偲び、そして我々は芭蕉も含め歌枕に想いを馳せるということだろう。詩歌の持つ力を大きい。。

    1. ググってみると、早蕨第四段に”岩瀬の杜の呼子鳥”らしいものがあるようですが、本によって違うのかな。間違ってたらすみません。

      そう、思いを馳せることしかできません。司馬もあきれたように、大和盆地の開発はすさまじく、ほんの50年ほど前の景色とはまったく違います。今日訪問した奈良写真美術館は正式な名を”入江泰吉記念奈良市写真美術館”といいますが、たまたま今は東大寺をテーマにした作品が展示されていました。これらの写真のなかで遠景のものを見れば一目了見です。逆に言うと、近景に立ち遠景を偲ぶという楽しみがあるとも言えますが。

      1. 失礼しました。早蕨に出てくるんですね、、早蕨と言えば輪読の当番だった巻なのに、気付かなかった。断定はイカンですね、それとそれこそググって確かめなくっちゃね。

        この部分見てみました。匂宮と薫が姫をめぐってジメジメしたあてこすり合いをする場面で「いはせの森の呼子鳥めいたりし夜のことは残したりけり」って風に「いわせの森の呼子鳥」が引用されています。

        実は源氏読みにとってこれが一番厄介なんです。引用されている和歌、数知れず。他にも漢詩・催馬楽などの俗謡なども一杯出てきてそれぞれに重要なんだろうけど我らアマチュアにとってはとても手に負えない。紫式部ってどんな女なんだったのかって驚き呆れ、まあここは飛ばしておこうってことになるしかないのです。

        当然現代語訳にするときこれら引用をどう扱うかがポイントで、因みに「呼子鳥」のところは、円地訳は割愛・無視、寂聴訳は「あのいはせの森の呼子鳥めいた山荘での一夜のことは、、、」と引用しているだけで特に注もないので何のことかさっぱり分からないってのが実情です。。。仕方ないですね。

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