笹鳴きの導くままに宮参り
自転車ではなく今日も散歩が続く。
王寺側の大和川堤防を歩いていたら、こんもりした森の中を移動していく笹鳴きがある。
声に誘われ森の入り口に廻ったらそこは式内久度神社とあった。
調べてみると八世紀には既にあったようだが起源は定かではなく、平安京移転の際平野神社に移されたという。
関西で「おくどさん」というように、竈の神様。
ただ、どう考えても腑に落ちない点がある。
というのは、このあたり王寺駅を中心とする一帯は三方の東から北、西へと大きく迂回する大和川に囲まれており、古代には洪水の度に陥没してしまうような低地にあるからだ。まして堤防際の、つまりかつては河原の延長のようなところに竈を祀る社を置くとは到底思えない。
どこか謎めいている神社ではある。
「笹鳴き」、、こんな季語(というより言葉)あるんですね。知っただけで高尚になった気がします。ありがとうございます。
その笹鳴きに誘われて彷徨った、、、何とも風流じゃないですか。
久度というのがおくどさんなんですね。竈(台所)は庶民生活に一番大事なものですからね。
そのあたりの洪水史も面白いかもね、、興味が拡がって誠にけっこうです。。
「笹鳴き」 私も初耳、早速歳時記で調べました。
冬の鶯の鳴き方とあり、春のホーホケキョとは似ても似つかない鳴き方なのですね。
聴き逃していたかもしれません。
昔はどこの家にも土間に、おくどさんが設えてありましたよね。
冬になると大なべや茶釜がいつもシュンシュンと音を立てていたっけ。
温かくやさしい炎の記憶です。
低いところで”チャッチャッ”と鳴いているのが”笹鳴き”です。早ければ3月頃に”ホケキョ”に変わり始めるわけですが、早期の鳴きは可笑しいくらい下手くそで、思わず「ヘタクソーッ」と言ってやりたくなります。その年初めて聞くホケキョを”初音”といい、これは春の季語です。
「初音」、この一言で旧正月(今の2月・梅・うぐいす)を表してしまう。まさに季語そのものだと思います。
前に書きましたが源氏物語第二十三帖は巻名が「初音」で、同じ六条院に住みながら4年も会ってないわが娘に明石の方がせめて声だけでも聞かせてほしいと呼びかける切ない場面があります。。
「年月を松にひかれて経る人にけふ鶯の初音きかせよ」
娘を手放したのが4年前4才の時、その時はまだ「笹鳴き」だったあなたももう8才、成長したホッケキョーという声を聞かせてほしい、、ということでしょうか。。涙が出てきますなぁ。。