パノラマを楽しむ

降り積もるほどなく雪の飛鳥かな

起きてみると快晴、ただ朝方雨が降ったらしく道路が濡れていた。
気象情報を確かめるとどうやら穏やか日和らしい。王寺の工場煙突の煙もまっすぐ上っている。
絶好の自転車日和である。

今日の目的地は明日香村。帰路を考えると現地で2時間ほどしかとれないので、甘樫丘、飛鳥京跡苑池、犬養万葉記念館だけと決めた。
たとえフルの1日があっても飛鳥の主要なポイントを全部見て回るのは到底不可能だ。
あの狭いエリアなのにである。
おそらく今年は何回も行くだろうけど、それでも周りきれないだろう。

甘樫丘から畝傍、遠くに二上山が望める。

橿原から飛鳥にかけては雪だったらしい。木立に残る雪をみながら甘樫丘を上ったが、展望台からの眺めはパノラマ。飛鳥や藤原京はもちろん大和三山はじめ金剛山系、生駒山系などの見通しがきく。天気もよいのでとても爽快である。
飛鳥は朝に降った雪がほとんど溶けていたが、後方の多武峰はうっすら雪化粧である。

飛鳥京跡苑地の一部。現在は埋め戻されている。左端は飛鳥川に接しており、一定水位を超えると川に放流されるようになっているという。高度な土木技術で、新羅系渡来人のものではないかと言われている。奥は甘樫丘。

10年ほど前の発掘調査で大規模の苑地が発見された。飛鳥京跡苑地と名付けられている。NHKで特集を見たことがあったので何をおいても見たかったのだが。
大津皇子の文字がある木簡が発見されたことから天武期のもので、伝飛鳥板蓋宮跡というのは実は長い間謎であった飛鳥浄御原跡であることが確実となったらしい。
追補)県では平成28年度を目処に整備公開するプランがあるようだが実現すれば、明日香の地理的理解がいっそう分かりやすくなるだろう。

“パノラマを楽しむ” への5件の返信

  1. 若かりし頃訪ねた桜井の友人の家は、大和三山が眺められる大パノラマでした。
    その時、多武峰にも行ったような気がします。

    最近、考古学の世界での新発見や発掘のニュースをよく耳にします。
    昨年は藤原京で「磐余池」の堤の一部が、又今日の朝刊では三重県の明和町で「いろは歌」の土器の破片が発見されたとか。
    「磐余池」はほだかさんの好きな大津皇子の辞世歌に出てくる池として有名だそうですね。
    これらのニュースは考古学好きの人たちにとってロマンを掻き立てられる話題でしょう。
    と共に過去を検証するう意味でも大きな意義を持つのでしょうね。

    今朝はお習字のお稽古日。
    手がかじかんでしばらく筆が持てません。
    墨の香が教室に漂って一瞬の緊張感に気が引き締まります。
    いつか年賀状を毛筆でとの思いで始めた書道、一向に上達の兆しが見えません。
    最近ではいつの日か色紙や和紙に俳句をさらさらと、夢見る私です。

    1. 書道ですか、そりゃあいいですね。サラサラっと毛筆での手紙、カッコいいですもんね。是非ものにしてください。

      先日来コメントに書いてるように書道(「手」といいますね)は教養の基本。王朝時代男女のやりとりは和歌を通じて行われたが、どんな紙(色・紙質)にどんな歌(内容)をどんな字(手)で書いたかでお互いに姿が見えぬ相手を測り合ったということですからね(習字はおろかろくに字もかけないボクにはおよそ無縁の世界ですが。。)。。

    2. 考古学の発展はめざましいですね。学校で学んだことがどんどん陳腐化していきます。先日訪ねた「万葉文化館」が和同開珎よりも古い富本銭の工房跡だったと聞いたのにも驚かせられました。

  2. 雪化粧の飛鳥路、寒い中でのポタリング、写真が生々しくっていいですよ。

    スカイブルーさん言われるように考古学~古代ファンにはたまらない場所なんでしょうね。どうぞ、何度も時間をかけて賞味してください(春過ぎには天の香具山も頼みます)。

    飛鳥京の土木技術は新羅系渡来人によるものだろうかとの由、遣隋使・遣唐使を通じての大陸からの影響もあったのだろうし、わが大和王朝も中国・朝鮮なしではあり得なかったのだと改めて思います。。

    1. 兄の時代に肩入れしていた百済が唐・新羅連合軍に滅ぼされ、新羅の影響力が大きくなったという時代背景もあるんでしょうね。その後インターナショナルな天平・白鳳文化の花が咲く前、天武期はとても大きな変革の時代にあったのは間違いありません。

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