寒中お見舞い申し上げます

寒見舞転居せしこと書き添えて

年賀状の発送ミスで何人かの方に出し漏れがあった。
本来はすぐに賀状御礼を出すべきところだが、寒中見舞いの形で返礼することにした。
暮れに喪中葉書をいただいた方にも新住所を案内しなければならないな。

“寒中お見舞い申し上げます” への10件の返信

  1. 大寒前後のこの時期は寒中見舞いがぴったり。
    一句、添えればなお素敵ですね。
    私も出し漏れてしまった方、喪中の方に出しています。
    又、松の内に来なかった方からも届いたりでリストはほぼもれなくチェクがつきます。

    昨日の明和町、斎宮跡に続き今日は滋賀、宮町遺跡で聖武天皇が奈良時代に造営したとされる柱穴跡が出土したとありました。
    何やら又考古学ブームの到来でしょうか?

    1. 滋賀の遺跡の記事、読みました。考古学がブームになること誠にけっこうだと思います。あいまいなところ、あやふやなところが却って興味をそそりロマンをかきたてる。老いにも若きにも知的向上にうってつけでしょうね。

      伊勢の斎宮、、源氏物語で六条御息所の娘(後の秋好中宮)が6年間過ごしたところです(源氏につれなくされ娘に附いて行った御息所も6年も神につかえボロボロになってしまう)。ああ、ここだったんだなあと思いました。

      1. 大津皇子の姉、大伯皇女も伊勢の斎宮だった様な気がします。
        歴史と物語の違いはあるとしても同じ所だったのでしょうか?

        1. 壬申の乱のあたりよく知らなかったのでちょっと勉強しました。大伯皇女が初代斎宮らしいですね。ほんと歴史と物語ですがボクにはもう一体でして、源氏解読に非常に役に立ちます。ありがとうございました。

          ①伊勢の斎宮と同じようなもので加茂の斎院があり、源氏では朝顔の君が8年も斎院を務め(婚期を逃し)た。

          ②斎宮は皇女・処女。どうしても好色の対象になる。
            ・在原業平の話
            ・百人一首63番 藤原道雅の話(この男、父が伊周、叔母が中宮定子、祖母が高階貴子(54番)、王朝文人の申し子みたいな男です。またじっくりと)

        2. 伊勢斎宮とくれば、大伯の”わが背子を大和に遣るとさ夜深けて あかとき露にわが立ち濡れし ”、”二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君がひとり越ゆらむ”をあげずには済まないでしょう。追いつめられ死を覚悟した皇子が姉に会いに行く。大和へ悄々と帰る弟を何時までも見送る姉。なんとも涙を誘う場面です。

    2. 紫香楽宮殿跡なんでしょうか。歴史の欠落した部分を少しずつ埋めていくのは大変なことですが、それでも新発見のたびに興奮してしまいます。関係者のご努力に期待したいです。
      考古学といえば、数千年前に遡った津波堆積地層が各地で明らかにされ、津波到達予想エリアがどんどん拡張されてます。もう”想定外”と言わせないためにはこれを活かすことですね。

      1. そうそう、そのようなことも記事にありました。
        津波を主とする災害の痕跡を発掘現場に探し出す試みが盛んになっているとのことでした。
        この調査が今後の安全に寄与することになれば大いなる希望です。

  2. 転居の通知も終え、奈良暮らしも板についてきたってところでしょうか。

    アーカイブ数えてみたら本日で180、ブログ始まって半年ですね、、マラソン42kmから計算すると約1.5km通過ってことですかね(42X180÷5000=1.5)。順調なペースでけっこうだと思いますよ。どうぞこのペースで進めてください。沿道から応援してま~す。。

    1. 5000句完結するころに私はいったい何歳になっているのでしょう。
      もうこの世に存在しないかもしれませんし、はたまたせっせとコメントを書いているのでしょうか?
      打ち上げしましょうね。

    2. ああ、言われて初めて気づきましたが半年経ちましたね。毎日1句を詠むのに必死でその日暮らしもいいところです。ジョギングならとても1キロ走る気がしませんが、俳句で1.5キロ。なかなかいいペースだと思います(笑)

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