伊賀越のおぐらき峠合歓の花
津から国道163号線の長野峠を経て伊賀に出た。
伊勢の斎宮歴史博物館に立ち寄ったので、下道をゆくついでに今まで走ったことのない道を抜けようと思ったからだ。
この道路は「伊賀街道」と呼ばれ、藤堂藩が伊賀に支藩をつくったときに整備された全長50キロの道だという。
峠の名前にあるように、峠の手前に長野という地区があり、ここはかつて安濃郡長野村と呼ばれ、その後合併して安芸郡美里村、そして昭和の大合併で津市に編入された。
昭和30年代の頃、交通手段も限られていた頃は、津の市街地に出るのに一時間くらいかかる山の奥地という感じだった。冬に雪が降るなどすれば出てこれない日もあるくらいで、子供ながらどんなに不便な処なんだろうと思っていた。
峠は平野と盆地を分ける分水嶺みたいなもので、平野に流れれば雲出川、盆地に流れれば木津川に合流する支流という具合だ。
今では、峠に替わってトンネルが通じているが、これを抜けると渓流沿いの細い九十九折の道が続く。雰囲気からすると夕にでも通れば蛍でも出てきそうなものであるが、もともと交通量が少ないので、夜などはちょっと怖いかもしれない。
注意しながら下ってゆくと、渓谷に沿って今は合歓の花が盛りであった。木洩れ日のさす花は眩しいように明るく、道案内のように点々と続くのであった。
この渓谷は服部川と呼ばれるので、あの忍者の半蔵ともゆかりがある地域なのかも知れない。
盆地に出て名阪道に入ると、ここもこの時期の定番合歓の花が通りかかる大型トラックの風圧に揺れる、揺れる。
伊賀越えの今は合歓の花が旬なのである。
三重県人ながら伊賀方面には疎く忍者の里と芭蕉のイメージしかありません。
子どもたちが幼いころ忍者に憧れて一度だけ訪れたことがあります。
季節が余りにも早く行き交い花を愛でる余裕すら失くしています。
もう合歓の花ですか。
まだ少し前に見たような気がしますがもう一年にもなるのですね。
明和町の斎宮歴史博物館は如何でしたか?
私は機会があればもう一度観月会に行きたいと思っているのですが・・・
hodaka さんがこよなく愛する大津皇子の姉君の歌碑、ご覧になりました?
これで奈良から三重への峠の主なものはだいたい通ったことになります。印象深いのは、やはり伊勢街道、伊勢本街道ですね。これからも時間が許せば高速道路ではなく峠道を楽しみたいと思います。
斎宮歴史博物館へ行く前に志摩半島の先端まで行ったりしましたが、やたら湿度が高くて閉口しました。
博物館でも展示物を拝見するだけでいっぱいで、大伯の歌碑には気がつきませんでした。展示内容も、斎宮の意義・歴史、群行の話など、申し分のないもので感心しました。今度はじっくり時間をかけてもう一度行きたいところです。
三重テレビは奈良ではまだ見られないのが残念ですが、いつか放映してくれると思います。