地球はまわる

日時計の針短くも春寒し


午後から晴れてきたが風が冷たい日だった。

大和川河川敷の散歩コース南端にある日時計。3時は廻っているのだが針の長さが随分短くなってきている。冬至から春分の中間点に来ているのだから日が高くなって当たり前なのだが、あらためてこういった形で見るとすべては自然の摂理に従っておりその諧調が破綻することはないのだという気がしてくる。

“地球はまわる” への4件の返信

  1. 「冬至から春分の中間点に来ているのだから日が高くなって当たり前なのだが、あらためてこういった形で見るとすべては自然の摂理に従っておりその諧調が破綻することはないのだという気がしてくる。」
    全く その通りですね! 自然の前には、科学が発達しても人の力では太刀打ち出来無いものがあると思います。
    最近旅したマルタ共和国には、世界最古の巨石神殿(ハジャーイム神殿)があり、英国・ロンドン南西のソールズベリには巨石群のストーンヘンジがあり、各々太陽の動きが計算され、夏至の時に太陽の光がここに射す、という時計も兼ね備えた作りになっており、数千年前の人の叡智もさることながら、太陽を信仰し自然を崇めて人類が生きてきた証しを見て、息が止まる思いでした。

    今夜も 北風の音がヒューヒューと聞こえています。
    春風が待ち遠しいですね?

    1. インカとかも暦をよく知っていた文化ですね。太古の人たちの科学、土木のレベルの高さというか、知恵はまったく驚異です。
      日本は木の文化だからあまり残されてないけど、五重塔なんかみると渡来系譲りかもしれないけどたいした技術があったようです。

  2. 「進軍開始」→「地球はまわる」ですか、、大きくきましたね。
    自然の摂理は偉大ですよね。とりわけ太陽のありがたさは計り知れない。
    そして地球の自転軸が傾いているのも「神の手」のなせる業なんでしょうね。
    おかげで四季があって俳句が詠める。ありがたいことです。。

    1. そうだね。フランスあたりではhaikuが盛んとききますが、季語の約束も随分乱れていると聞きます。単に短いだけならなんぼでも詠めると思うんだけど、季語に代表される季節感を織り込むのが難しいんだよね。
      四季があり、その機微を多彩に表現できる日本語。この両者があってはじめて俳句が成立するんですね。感謝。

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